サテライト・サロン活動

■第42回サテライト・サロン吉祥寺報告
「鳥海山麓;写真から見た自然界の驚き」
・日時;平成29年11月29日(水)午後6時30分から
・場所;吉祥寺本町コミュニティセンター
・演題;「鳥海山麓;写真から見た自然界の驚き」
・演者;石井三男氏(建築業 兼 ブナの写真家)
司会の小清水敏昌氏が演者の「石井三男氏は建築業ですが今日はブナの写真家として山の写真を通して大自然の良さ、こんな事があるんだという驚きを講演してもらいます」との紹介に続いて演者ご自身が連れてこられた富士写真フイルム フォトギャラリー調布の湯川右一氏から調布の教室で石井さんは山岳を目指すクラスに入っていて、一気に上手くなって、セミプロ的な扱いをしています。鳥海山だけではなく北海道から関東のブナは自然に生えて、ブナと云う字は木に無と書いて、炭だけで後はない。写真を撮る時は朝と夕方だけで真ん中は無い。先生に成れる人で、私達も安心して最近はうちの生徒さんに鳥海山へ一緒に行って指導してここが良いポジションですと教えています。
石井三男氏は福島の中通りで周は山で前は田んぼ、そうゆうとこで生まれ、小学校時代はわんぱくで、中学校時代はバレーボールを3年間やった。陸上では負けたのが悔しくて、高校では陸上部に入って1年から成績が良かったので高校駅伝では4位に入った。就職は茨城の常磐炭鉱、マラソンで2時間40分、実業団の青森〜東京間駅伝では高校時代に1回、茨城県は選手層が厚かったが予選を通り25人に入った。盲腸になったので、陸上では食べていけないので 止めた。東京に兄貴が居て建築屋をやっていたので、本当は引き売りの八百屋をやりたがった、でも建築を覚えてからでもやれると言われたので。
写真をやり始めたのは35年前カメラを買って子供の運動会の写真を撮ったがピンボケで老眼だったのが ビデオは撮れた。たまたま喫茶店で写真をやる年寄が居て、その人に付いて周囲2kmのブナ林を1日掛かりで歩くのを2泊3日で行った。1日何を撮ったらいいか解らない。ブナの節、苔で太くなった所、木は捻れていない、水分が多いので木の中は無くなってしまう。変わったのが色々在って周囲の背景が凄い。 何年か経って「ちょっと覗かせて貰って良いですか?」覗いてこうゆうふうに撮るのか、真似をして1ケ月しょっちゅう行って35mmを30本〜40本、見て貰って、もっと迫力あるだろうと言われても、その時はクソと思っても 覚えてら俺の物だ! 後は一人で青森、岩手、八幡平、とかブナの有る所を幅を拡げて、今は鳥海山は春と秋ツアーを組んで 下見をしてやっている。
ここからはスライドで、鳥海山周辺の中島台・獅子ケ鼻、抜川、等の雨や霧の日のブナは黒い、晴れた日のブナは白い、ブナ以外の4年に1回のれんげつつじ、水芭蕉、モリアオカエル、湧水と水の流れ、太陽光、海水浴場の夕陽、熊が木の上に、等々 42枚を観賞しました。
以上。
出席者:市川義輝、岡義雄、北原周子、木村康雄、小清水敏昌、小清水美千子、副島一義、鳥橋祥子、西谷可江、西谷隆亘、原山恵津子、松本恒廣、宮川清彦、山口峯生、湯川右一。(計15名)


■第28回サテライト・サロン立川報告
―― 第2回「先輩の山の話を聞く会」 ”山の高さ” ――
開催日 11月22日(水)18:30〜
講師  宮崎紘一
今回は、登山教室で私達のザックも靴ヒモも歩き方も、よ〜く見てくれて、的確にアドバイスを頂ける宮崎さんにお願いしました。
宮崎さんの山を始めるきっかけとなったお話からのスタートでした。高校の校庭に張ってあったテントが、映画の中で見たマナスルのテントに見えたとの事。この一瞬にして、ひとりの青年が山の世界に引き込まれたのかな〜と。最初からグッと宮崎さんワールドに包まれました。
大学山岳部の仲間が探検部を発足し誘われ、未踏の山へ高い山への挑戦が始まったそうです。
本題の「山の高さ」のお話は、測量のお仕事をされてたそうで、専門家ならではの詳しいお話で、少々難しく感じられる所もありましたが、子供向けの資料もあり、解りやすく説明して頂きました。
富士山の高さは3776m。皆が知ってるし、昔からそういうものだと思っていました。しかし、1727年に測量された時は3895m。その後何回も測量が繰り返され4322mの時もあれば、3475mの時もありました。時代により測量方法も異なり、測量方法の具体的なお話もあり、昔の人達の苦労や努力に頭が下がる思いでした。高さを確定するのは、一難事業、とても困難な事とのお話が納得できました。
山の高さは、東京湾の平均海面を0mとして、そこからの高さで測量するのですが、その平均海面をどのように決めたのかという事も、山の高さは、三角点や標高点の標高値・等高線数値等が用いられてきたけど、必ずしも最高地点の値とはいえないという事も、三角点は山にしかないと思っていたけど、全国に約10万点ある事や三角測量の方法も、水準点は全国に約2万点ありその役目等々、よく解りました。
参加された方々の感想では、三角点に興味が持てたという声が最も多かったです。山でも道路でも三角点や水準点を探してみたいと新たな楽しみを持たれたようです。山岳地図の見え方も違うものになるとの意見もありました。先人の努力が重なるのでしょう。
当たり前に決まっていると思っていた「山の高さ」特別気にもかけていませんでしたが、「どうなっているんだろう」と疑問を持ち切り込んでいく事で、こんなに奥が深い世界があるんだなと感じました。
「高さを理解すると、登っていても楽しい」まだまだわかりませんが、身を持って体験できる日がくるのが、楽しみです。
(文/中原三佐代)
参加者
岡義雄、山本憲一、中原三佐代、河野悠二、竹内恭江、植草由利、宮崎紘一、小山幸勇、吉川三鈴、斎藤理恵子、西村智磨子、中村哲也、清水茂美、菊池美奈子、寺井成世、中村敦子、西山さより、富永真由美、鹿島陽子、玉井明子、安田令、内藤誠之郎、矢澤大史、濱野弘基、青木義仁 計25名


■第41回サテライト・サロン吉祥寺報告
「あすか基地の初越冬は風との闘いの日々だった」
9月27日(水)
 いつも山を中心とした話でサロンは行っているが、今回(9月27日)は南極に3度も観測に行った方にお願いし南極大陸での様々な興味深い話を伺った。演者は渋谷和雄氏(国立極地研究所名誉教授)。1986年に第28次あすか越冬隊(8名)の一員として参加した時の話で、タイトルは「あすか基地の初越冬は風との闘いの日々であった」。当日は配布したレジュメのほかに南極大陸の気候図や地図、あすか基地周辺調査の記録などの資料を基にして分かり易い話だった。また、圧巻だったのはDVDの上映で、あすか基地の内部や周辺の様子、奥地の観測調査などが見られ、猛烈な風が吹く中での観測や設営などが手に取るように分かった。しかも時折DVDを止めてその場の状況について解説をする方法だったのでより一層、臨場感のある雰囲気だった。このDVDは当時の関係者は余り見ていないとのこと。
 あすか基地の観測棟建設の工事を1986年12月から取り掛かり、完成後の翌年2月から観測を開始し12月に次の観測隊と交代するまで10か月間、観測を続けた。天候の目視観測ではブリザードの日でも国際的に12時、24時となっているが、24時では暗いので時間を少しずらして観測し昭和基地に送り、ローソン基地経由でパリのデーターセンターに送られそこから全世界へ発信された。あすか基地はドロニング・モード・ランドの高地に位置し標高は約1,000m。南側に標高約3,000mの氷原があるので約2,000mの高度差を「カタバ風」が吹き下りる気象条件下にある。一方、昭和基地は標高が約30mで沿岸弱風帯にあるので年平均気温−10℃、年平均風速は〜6m/sで穏やかである。あすか基地での5年間の越冬観測データによると年平均気温は−18℃、年平均風速は〜13m/sで昭和基地と比べ常時強い風と気温が低いことが判ったという。昭和基地からの飛行機の様子が映ったが、天気の良い日のみ飛来し来るときは2時間半位、帰りは風の影響で4時間位かかった。氷の厚さは飛行機からの電波を利用して測定。航空磁場観測では飛行機本体から長いケーブルの先に測定器を取り付け吹き流しのような状態の画像。積雪量は何もない氷原では数十センチ程度であるが、雪が降るとブリザードによって大量に運ばれてきて基地の建物が吹き溜まりとなって5mの高さまで埋もれてしまう。現在のあすか基地は息抜きパイプだけを出してあとは全部雪の中に埋まっているが、永い時間をかけると氷原から出てくる。昭和基地で雪上車が氷の下に落ちたが30年経って崖からできたことがあったという。渋谷氏も隊員のなかに童顔の表情で映っており青春時代の一コマ。
昭和基地は海に近いところにあるが、大陸の奥に少し入った東側のところに2番目の「みずほ基地」。3番目が今回の「あすか基地」で西側にある。しかし、あすか基地は観測を開始して5年後には閉鎖された。渋谷氏は1979年第21次観測隊で昭和基地越冬、1997年第39次観測隊では昭和基地での越冬隊長兼観測隊長だった。今回は非会員(渋谷氏も)の出席が目立ったことから、会員外でも興味のあるテーマだったと思われた。平成23年11月(第12回)の中村純二氏による「宗谷時代の南極観測」の講演以来の南極の話であった。終了後の懇親会には出席者のほとんどが参加し演者を囲んで和やかに話をしていた。(文/副島一義)
参加者:渋谷和雄 市川義輝 岡義雄 鬼丸邦治 小野寺斉 金子浩 神崎忠男 小清水敏昌 下田俊幸 副島一義 田村俊介 鳥橋祥子 中原三佐代 夏原寿一 西村智麿子 西谷隆亘 西谷可江 原山恵津子 松本恒廣 三渡忠臣 宮川清彦 山口峯生(非会員:石井三男 小清水美千子 原田隆子
 (計25名)


■第27回サテライト・サロン立川報告
第1回「先輩の山の話を聞く会」
ccc 7月10日(月) 18:30〜20:30
登山教室でお世話になった先輩方のお話を聞きたいとの強い思いだけで企画したものの、とても不安でしたが、多くの参加者を迎え、岡さんの魅力溢れる会でした。 8頁に渡る資料の準備と当日沢山の本とアルバムと手帳etc.(とても重かったです)を持参して頂き、それだけで私達に伝えようと思って下さった熱いお気持ちを感じました。
資料は、山登りを始めた1952年から現在に至るまでの山、日付、目的(100名山、海外登山、自然保護etc.)が記載されていて、誰もが目を見張るものでした。この記録の素晴しさに脱帽の思いや記録の大切さを痛感し、これを機会に記録をしっかり残したいという意見が多かったです。また、ご自身の年齢ごとに黎明期・最盛期・衰退期・忘却期・蘇生期・老春期@Aと分けられていました。かのネーミングがいかにも岡さんらしいなと感じました。
65年間の山経験を積んで、感じた事を総括としてお話ししてくれました。
☆登山に必要な要素@体力A技術力B判断力
☆目標を持った山登りを心がけよう→
     「少し背伸びすれば可能になるレベル」をターゲットに。
☆仲間を大切にしよう
一言一言がとても響きました。心の中で「岡さん、しかと受け止めました」と叫んでました。
もっともっと山の事知りたい、もっともっと山に登りたいと思っている私達にとって、このようなお話しを聞ける事は、とても貴重です。
最後にヨーロッパアルプス・ヒマラヤの映像を見せて頂きました。“いつか行ってみたいと思った”“海外の山が身近に感じた”との意見を頂きました。
人との出会いで刺激を受け、自分を成長させてもらえる。人との出会いが財産だなぁと。そんな事を感じながら、岡さんとの出会いに感謝した時間でした。
(文責/中原三佐代)
出席者: 岡義雄、神崎忠男、田中清介、小口治、富澤克禮、酒井俊太、
山本憲一、西村智磨子、野口正江、富永真由美、川尻久美子、小河今朝美、
西山さより、清水節美、吉川三鈴、土橋奈緒美、鹿島陽子、竹内恭江、植草由利、
内藤誠之郎、吉岡礼子、内村直子、三ッ井祐子、斎藤真子、山内ひとみ、安田令
(計26名)


■第40回サテライト・サロン吉祥寺報告
秦和寿会員が「山で虫の被害をふせぐ」を話す
5月17日(水)
 5月17日(水)午後6時30分から、秦和寿会員を講師に「山で虫の被害をふせぐ」と題して話していただいた。秦会員は明治大学卒。東京大学医科学研究所に進み、東京都衛生局で長く害虫に対する行政に携わってこられた。真夏の日本は、平均気温が26.7℃にもなる。熱帯のフィリピンと全く同じ。したがって、日本にも実に多くの害虫がいるそうだ。ハチ、アブ、蚊、ヒル、ツツガ虫、ダニ、毒蛇…。それらが登山者を悩ませている。夏山シーズンを前に、貴重な話をうかがった。最初に、一匹のゴキブリが引き起こしたある出来事。2014年、群馬県にある食品会社が製造販売しているインスタント食品「焼きそば」にゴキブリが入っていたというので大騒ぎとなった。工場を閉鎖、十数億円掛けて工場を改修した。ゴキブリ一匹で大騒ぎする潔癖な国民性だ。フランスのワインにショウジョウハエが入っていることは常識!。どう思いますか。

ぜひ知っておきたい害虫と対応策
 ■マダニ/噛まれたら、お腹側の気門にワセリンを塗る。窒息するのでマダニが自ら離れるのを期待する。無理に取ると口器(口下片)が皮膚内に残り結節となる。人間の柔らかいところ(首、腋の下、腹、背中、陰部等)を刺す。「明治きず軟膏」を準備する。ポピドンヨードが入っている。ワセリン、エタノール、ベンジン等も。予防法としては、合成繊維の長袖、長ズボン、スパッツを装着する。ウールの羽毛はダメ!藍染木綿の手拭で皮膚を覆う。防虫布虫除けスプレーなど。感染症には、SFTS(重症熱性血小板減少症候群)、日本紅斑熱、LYME(ライム病)など。ダニに刺されると恙虫病を媒介する。
 ■蚋(ブヨ、ブユ)/山間部で最も被害が著しい虫で刺されたら、その部分を噛んで、その血をなめる。都会人は皮膚が腫れ苦しむ。ムヒα(抗ヒスタミン+ステロイドの軟膏)等を塗る。予防法は@藍染木綿製など防虫手拭A植物由来(柑橘類やハッカ類)を塗るBデイート(1946年米軍が開発マラリヤの予防)Cイカリジン(バイエル薬品が開発、2016年国内市販)など。
 ■ヒトスジシマカ/刺されると、デング熱、ジカ熱、を媒介する。海外ではマラリア等を媒介する動物が多数生息している■蛭(ヒル)/塩水、塩は効果がない■スズメバチ類/黄色、大型、小型。針には返しがある。*注意点/洗濯で柔軟剤を使った衣服に寄って来る。刺されたら、ポイズンリムーバーで蜂毒を吸い出す。水で洗って冷やす。アルコール洗浄は吸着するので不可。ムヒα等のステロイドを塗る■黒スズメバチ(小さい、土の中に巣、ザザ虫を食べる)/刺されたら、自己で注射(へぺリン)する。森林作業で毎年20〜30人死亡している■ツツガ虫/刺し口が真っ黒。発熱、発疹する■毒峨■その他、蚊、蜘蛛■まむし(眼の瞳が縦向き)/噛まれたら、体を冷やさない方がよい。腎臓がやられる。早期に血清で治療する■青大将(眼の瞳は点)■ヤマカガシ/噛まれると、奥歯から毒を出す。

いまでも役に立つ昔の防虫法。(江戸時代⇒現在)
医薬。燻し。紙帳(シチョウ=紙糸)。菖蒲。ヨモギ、わら、みかんの皮。
 
 話の途中、秦講師が採取された害虫の実物標本を回覧して拝見した。ハチが数種、大きなのに「刺されたら、さぞ痛いだろうな」と思い、小さなブユやダニに驚いた。マダニは3mmくらいだった。噛まれてもみつけるのに一苦労 ?
(文責/副島一義)
出席者: 金子浩、北原周子、小清水敏昌、小嶋和男、副島一義、高橋郁子、
高橋重之、徳永泰朗、中原三佐代、西谷可江、西谷隆亘、長谷川公子、
原山恵津子、松本悦弘、宮川清彦、三渡忠臣、山口峰生、吉川三鈴、吉田敬
(計19名)


■第74回サテライト・サロン町田報告
岡義雄講演「おくのほそ道C庄内地方」/車座会
5月23日(火)
 芭蕉の世界に興味を持ちつつ、いたずらに日は過ぎてしまっていたので、今回、良い機会が得られた。 岡講師の膨大な資料に圧倒されるところから、車座会は始まった。まず、山やさんらしく庄内地方の位置確認に始まり、芭蕉の年譜、行程図の紹介で、深川から大垣までの142日1,963qという行程に驚く。 芭蕉と岡さんの行程の対比表を見せて頂き、「実際に歩かなければ、知りえない、理解しえない」との岡さんの言葉に歩かれた方だからこその重みを感じた。 羽黒山周辺は車道もあるが、歩くとなお一層奥深いであろう史跡「南谷別院跡」も訪れたい地となった。
 岡氏がおくのほそ道に関する私のバイブルと言われている金森敦子著 芭蕉「おくのほそ道」の旅 は、文頭から強く心惹かれる文章が続く。「芭蕉の数々の謎」や芭蕉が旅した時代背景など、興味は尽きない。金森敦子氏は、1946年新潟生まれの歴史家であり、奥のほそ道関係他近代の人物伝など多くの著書を表している。芭蕉と5才年下の曾良との旅の様子は、曾良が几帳面に書き記した旅日記で知る事が出来る。
 私にとって芭蕉の世界は、まだ入口に立っただけである。しかし、遅すぎるという事はないと思う。岡氏のお陰で芭蕉の世界に出会えたことに感謝したい。アマゾンさん、宅急便さんのお陰で、奥のほそ道参考文献として岡さんが教えてくださった数々の本が、明日にも届くのをワクワクして待っています。                  (文/植木淑美)
参加者: 岡義雄、竹中彰、石原康生、鎌田正彦、高橋善数、植木信久、
丸山さかえ、桐山裕子、片野スミ子、植草由利、小河今朝美、吉川三鈴、植木淑美
(計13名)


■第73回サテライト・サロン町田報告
神津島・天 上 山(571m)
5月12日-14日(金-日)
 町田サロンは8周年を迎えました。今回、海を渡り神津島の天上山を巡り歩きます。標高571mの天上山は不思議な山で、10年前に歩いた印象では、遠くに見えても近く、断崖絶壁、岩場あり砂漠もあり、四季折々様々な花や植物が咲き乱れ、狭い空間にあらゆる自然がいっぱい詰まっているかのようでした。島の観光スポットは「天上山と青い海」でしょうか。どうか天気に恵まれますようにと祈る気持ちで計画しました。

 12日 参加者8名、竹芝客船ターミナルに集合、8:45発高速ジェット船に乗り込み一路神津島を目指します。定員245名、ほぼ満席。最大速力80kmのジェットは飛沫をあげて快晴の大海原を疾走する。途中、大島、利島、新島、式根島へ寄港、釣りやダイビングの用具を抱えた若者達が次々と下船する。わざわざ海を渡り山へ登るなんて酔狂な。すっかり空いた船中で昼食をすます。
 入港は気象状況により神津島港から島東岸の多幸湾三浦漁港に変更され12:30着。手際よく宿の車が出迎え、一先ず「民宿・中政」へ。多幸湾は村の中心部から可成り離れており宿の車で助かります。民宿・中政は沢尻湾に面した高台に在り、仲々の外観で先代当時は旅館として賑わっていたとのこと。今は少し侘しい感じがする。貸し切りの状態で部屋割りも楽々。小休止の後、島の北西部にある赤崎遊歩道「潮風の道」を目指し海岸線を散策することにした。
 ここは東京都神津島村、車は品川ナンバーで私の多摩ナンバーより垢抜けした感じ。村発行の観光便覧によれば一村一集落で人口約2000人、約850世帯、小、中、高校各一校、タクシー4台、村営バス一律200円で幹線道路を1日4往復、村内交通は徒歩が一番とのこと。私達も心地よい潮風に吹かれ彼方此方と見所を寄り道しながらひたすら歩く。途中で村営バスに乗り込む。運転するのがタクシー会社と掛け持ちと解り、これ幸いと明朝6時、登山口まで車を予約し、これで一安心。15:00〈赤崎歩道〉。全長500mの全木造遊歩道が入江を囲むように設置され、吊橋や展望台、飛び込み台など海水浴やシュノーケリングに最適のスポットだ。さぞかし夏には賑わっていることだろう。真っ青な海、輝く太陽そして緑豊かな山、素晴らしい眺めに癒やされる。潮風を堪能し来た道を引き返して村営の神津島温泉保養センターへ。ゆったりと汗を流し18:00頃宿へ帰る。約4時間の散策だった。夕食は期待していた活魚料理とは程遠いものだった。往時の旅館当時と違い今では家族で賄う季節営業らしい。料理はともかくお酒も廻り山仲間の語らいは楽しいものです。明日は天気予報も良くないので朝食はおにぎり弁当とし、6:00出発とする。

 13日 予報通り今にも降り出しそうな空模様。宿が用意した朝食おにぎりをザックに雨具着用、5:50予約した車に乗り込む。天上山に詳しい車のオヤジさんから“10時頃から本降りになる。天上山の主要スポットを選び本降りになる前に下山を”とアドバイスを受ける。白島登山道をひた走り6:10〈白島登山口〉着。早速おにぎり朝食を済まし6:20歩きだす。登山道は良く整備されているが遮るものがなく、高度を上げるにつれて風が強い。10合目を経て6:50〈不入ガ沢〉。昔の火口跡で右側は断崖 絶壁、荒々しい岩肌と眼下に港と村落が一望出来る。
 風に煽られながら7:05最高地点〈天上山山頂〉に立つ。風は強いが周りは明るく急ぎキネパチを撮り不動池へと急ぐ。岩のごろごろした砂地の道で小さな岩山の間から表砂漠を覗き見る。やがて鳥居が見え7:25〈不動池〉。天上山最大の池で、池の中洲には草に埋もれた祠があり龍神が祀られている。一面に生える苔が美しい、池水は涸れていた。静寂を味わい暫し憩う。近くに大展望スポット〈天空の丘〉があるが視界不良の為カットする。7:44〈東京百景展望地〉。説明板には「伊豆諸の島々と房総半島を眺めることが出来る」とあるが霧のため何も見えず説明板の写真で見えたことにする。
 これより本命の裏砂漠へと向かう。だんだん霧が濃くなってきた。周りは白い砂地の世界、霧が強まる中を注意しながら裏砂漠の中心地へと進む。天上山では標識が整備されているので迷う心配はない。8:17〈裏砂漠の中心地〉解説板には「オオシマツツジと白砂、空と海のコントラストが美しい場所。強烈な風雨によってできた広大な砂漠景観は一瞬山の上にいることを忘れてしまうような感覚を楽しむことができる。ここで降った雨は逃げ場を失い全て台地に飲み込まれ、やがて伏流水として島人に数百年の豊かな飲水を保証してきた」とある。霧の中、周りを見渡すが何も見えない。諦めかけたその時、突然霧が晴れ一瞬青空が覗く、ラッキーだ。まるで異次元の地表を思はせる周りの風景に思わず歓声が上がる。これぞ天上山の景観の魅力か。しばし言葉もなく周りの景色に見入ってしまう。これより天上山の山並みや砂漠の感触を味わいながら広々とした草原を経て8:50〈オロシャの石塁〉。徳川末期に海上防衛のため造られた石塁跡、最後の眺望を楽しむ。それにしても、天気さえ良ければ天上山の魅力は如何ばかりかと改めて痛感する。
 まだ明るい、今のうちに下ろう、本降りの雨が心配だ。9:10黒島山頂十合目より登山口へと急坂を下る。視界は明るく、下るにつれて港と村の中心部がぐんぐん迫って見える。9:41〈黒島登山口〉へ無事到着。「花の百名山天上山」とあるが花を愛でるのもお天気次第、残念でした。山中、歩いていたのは私達だけだった。
 9:50突然土砂降りの雨が降り出した。急いで近くの休憩小屋に逃げ込み一息つく。雨は激しく降り続け舗装の坂道を流れ下る。山中でこの雨に会わず本当にラッキーだった。オヤジさんのアドバイスに感謝です。村には食事処が少なく雨の中を港へと急ぐ。整備された神津島港の食堂で選んだ金目鯛の煮魚定食は実に美味かった。皆さん大満足です。この雨では観光もままならず、タクシーで宿へ帰る。宿では女将さんが心配顔、この雨の中よくぞ登り終え無事帰ってきたと、本気で喜んでくれる。用意されたお風呂の心地よさ、疲れがすっかり癒される。雨は降り続き部屋でごろごろと時間を過す。夕食は昨夜と変わって豪華です。各種活魚刺し身の大盛り、料理の品数も多い感じ、おかげで話題も盛り上がる。今回、天上山は当初計画の3割程しか歩けなく、青い海と360度の展望、お花畑も全く期待叶わず実に残念でした。お天気ばかりはどうにもなりません。宴の終盤にサプライズがあった。83歳の女将が島の民謡を披露すると言う。小太鼓打ちつつ伝統の島唄を唄う姿には、若かりし娘時代を偲ばせます。きっと唄い続けてきたのでしょう。素直に聞き惚れました。

 14日 皮肉にも快晴だ。復路は大型客船、多幸湾から出港とのこと。女将に笑顔で見送られ宿の車で三浦漁港に送って貰う。10:30出港、ゆっくりと神津島を離れ一路横浜港へと向かう。乗船客も少なく、のんびりと船旅を楽しむ。ちなみに高速ジェット船と大型客船2等座席との比較では船賃が1.6倍、所要時間で半分、やはりTime is money でしょうか。18:00横浜港着。解散。”お疲れ様でした”          (文/高芝一民)
参加者: 高芝一民、薮田益資、鎌田正彦、植木信久、丸山さかえ、森 静子、
松川信子、植木淑美(計8名)


■第72回サテライト・サロン町田報告
「鳴虫山と日本山岳会のルーツに出会う山旅」
4月25日(土)
 「鳴虫山」というネーミングはずっと前から気になっていました。その名前に惹かれていつかは登ってみたい日光あたりの山という認識でしたが、アカヤシオの最盛期を捉えてのこの山行企画は、さらに魅力に感じ参加させていただきました。
 登山口は東武日光駅から住宅街の中をしばらく歩いた所にあり、アクセスは抜群!案内版には急登のマークがたくさんありましたが、それほどの急登でもない道をひと登りすれば、第一のピーク神の主山に到着。そこを過ぎたあたりから、木々の間にチラホラとピンク色をした花が顔をのぞかせ始めました。名前は「アカヤシオ」ですが、色は「アカ」ではなく「優しいひかえめなピンク色」です。予想外なことに足元にはあちらこちらにたくさんのカタクリの花もお出迎えしてくれ、とても嬉しい気分になりました。
 この山の名前の由来と関係があるやなしや、この日は穏やかな天気であるにも関わらず、稜線上でとても暑く感じたと思えば急に震える程の冷たい風が吹き付け、少し他の山とは異なる気象現象がある様に感じました。標高は1104mとそれ程高くはないですが、この山に雲がかかると雨になることが多いためつけられた名前だそうです。
事前の地形図読みでも覚悟はしてきましたが、これでもかという程ピークのある山なので、何度も小さい登り下りを繰り返し、最後に見事なまでの根っこ道を登りつめ、やっと山頂にたどりつけました。山頂からは雄大な男体山を始めとして、女峰他日光連山の山々、新緑に燃える木々の芽、アカヤシオ等の花々が目も心も癒してくれました。
 下りは登りよりも急で、ロープが所々に掛けられている山道でしたが、概ね歩き易い道でミツマタの咲き誇る快適な林を抜けると、古来、不動明王出現の霊地とされる憾満が淵に到着。ほぼ予定通りの行程でバスに乗ることができました。
 その日は、オプションで中禅寺湖畔の温泉旅館に投宿、イタリアと英国の旧大使館別荘見学、そして美しく塗替えられた日光東照宮を拝観しました。中でも特筆すべきは、英国大使館別荘です。この建物は明治29年に英国の外交官アーネスト・サトウ氏が個人別荘として建て、後に英国大使館別荘とした建物の復元です。建物の素晴らしさもさることながら、何と、このアーネストさんの次男は武田久吉氏で、日本山岳会の紋章をデザインしたその人でありました。展示の中に見慣れたJACの紋章を見つけた時、職員の方が、私たちの帽子のマークを見つけて、驚きの声をあげられました。昨年10月の開館以来、日本山岳会の会員の来訪は、初めてだそうです。武田久吉氏は、JAC設立発起人7名の内のおひとりで、六代目会長ですから、参加者全員が思わぬ出会いに、本当にここに立ち寄って良かったと感激しました。貴重な山岳関係の書籍がたくさん展示され、日光杉をふんだんに使われた芳しい香りの館ですので、日光を訪れた折は、是非この別荘にも立ち寄られるよう、お勧めいたします。                          (文/吉川 三鈴)
参加者:丸山さかえ、森静子、桐山裕子、藪田益資、吉川三鈴、植木信久、    植木淑美(計7名)


■第70回サテライト・サロン町田報告
花シリーズ/熱海 玄岳
3月25日(土)
 千葉、神奈川、東京など各地から集まった面々が熱海駅に集合。小田急線の車窓からは、富士山の雄姿がくっきりと見られたが、春霞のこの季節、果たして昼まで澄んでいてくれるのか案じられた。バスを降りると、ヒメオドリコソウ、ミツマタ、タチツボスミレなどを愛でながら住宅街の急坂を登る。山道に入り、オニシバリやホンツゲ、コウヤボウキの見られる山道を行き、熱海新道の陸橋を渡って才槌の洞へ到着。何人かで探せども「洞」らしきものは見当たらない。いくつかの大岩があり、石組も見える。右に左に馬酔木の可愛らしい白い花が見られるようになり、展望が開けてきた。眼下には、初島、熱海温泉の街並みが広がっていた。池見学を帰りの楽しみに残して、氷ガ池への道を分け玄岳への笹原を登る。標高799.2mの二等三角点のある山頂で昼食。幹事の手前味噌の豚汁で車座になる。たったの一椀で温まる。やっぱり。。。。富士山は、雲の中に。想像力を豊かにしても見えない。残念。下山開始。気を取り直して氷ガ池を見物すべく、何本も縦にロープの張られた滑りやすい道を急降下。伊豆スカイラインの脇には大きな氷ガ池が青くひっそりと佇んでいた。まだまだ、はるかに遠い。ここで戦意喪失、戻ることに賛成多数。下った分だけ登る辛さを吹っ切るように、エイッとばかりに一気に登り返す。下りは早い。アッという間にバス停に到着。何やらほのかに油の良い香りがする。すかさず、揚げ蒲鉾の製造会社を訪れ、今夜の「アテ」を調達した。
平均年齢を下げてくださったお嬢様たちに感謝して帰路に就いた。華やいだ山行であった。
参加者:藪田益資、土橋奈緒美、桐山裕子、小河今朝美、吉川三鈴、植木信久、   清水節美、丸山さかえ、斉藤弘美、岡義雄、石原和子、植木淑美(計12名)


■第39回サテライト・サロン吉祥寺報告
3月15日(水)、午後6時半から標記のサロンが始まった。演者は日本山岳会の元副会長で現在評議員の宮崎紘一氏。「武蔵野市から始まった山登り」と題し、高校・大学など山岳部活動の写真をスライドにした1時間余の講演。山登りを始めた原点は高校時代の山岳部活動で、1956年5月新人歓迎会で乾徳山に登った。当時の都立武蔵高校は隔週土曜が休校になっており、山登りの楽しさを覚えた時期で好都合であったと。南アルプスの夏合宿や北アルプスを巡っての山岳部活動を通して、先輩に技術面を教えて貰ったことが非常に役立った。東京農大に入学すると直ぐに山岳部に入部し、富士山の新人歓迎会に参加した。雪上訓練や山の上から麓まで駆け下りるなど厳しい「歓迎」だった。夏山や冬山などの山行では時に40日もの間山に入っていたこともあった。大学での山岳部では先輩たちとの繋がりがとても強く、登山のことも含めていろいろな事を教えてもらった。今から思うと大変ありがたかったなと思う。そうした経験から我々も後輩たちを育てていくサイクルが無いと組織は続かないと述べた。その頃、山での遭難が多く、部員の減少や大学当局の締め付けなどが目立つようになった。その一方でOBを中心とした海外の登山計画があり1963年ヒマラヤに行った。その後、先輩の誘いで日本山岳会に入会した。また、50歳頃に母校農大の山岳部監督に就任したこともあった。今はOB会の会長を務めているが入ってくる部員が非常に少ないので何とかしたいと思っている由。
 もともと登山には危険を伴うが、山の自然に接してその良さを感じ、困難にチャレンジする精神的なことも大切であると述べた。宮崎氏は多摩支部の各種の登山教室で多くの参加者を対象に技術的指導などをしている。山岳会活動を続けるためには先輩が後輩の面倒をみて育てて行くことが重要であると強調し講演を終えた。講演後の懇親会には出席者の多くが参加し山のことや山岳会などについて大いに語り合った。
なお、阿佐ヶ谷駅近くのミニシアターで4月から上映される3人のクライマーがヒマラヤの山に挑む山岳映画「MERU/メルー」のパンフレットを配布した。
(文/小清水敏昌)
出席者:宮崎紘一 岡義雄 鬼村邦治 小野勝昭 金子浩 北原周子 木村康雄 河野悠二 小嶋一男 小清水敏昌 副島一義 鳥橋祥子 中原三佐代 中村哲也 夏原寿一 西村智磨子 西谷隆亘 原山恵津子 松本悦廣 宮川清彦 三渡忠臣 山口峯生(計22名)


■第38回 サテライト・サロン吉祥寺報告
 年が改まった1月18日午後6時半から本町コミセンで「日本山岳会と図書」
のテーマで近藤雅幸氏による講演を行った。もともと近藤氏は日本山岳会の図書委員であることから、図書室の蔵書類の紹介や利用する方法など図書室全体についての話をした。氏の日本山岳会の入会の動機は山の本が読みたくて希望したが、このような理由ではなかなか認められなかった由。ロッジ山旅のご主人が推薦してくれてやっと入会できたと苦笑しながらその経緯を披露した。図書室の今の蔵書は雑誌を含め約3万冊。ところが利用する人は平成28年でわずか271人のみ。会員の紹介があれば外部の人でも利用することができる。利用する場合は、カバンや飲食物を図書室には持ち込まない。入室時には必ず記名帳に記入し、本を大切にするためのマナーを守る必要があると強調した。山と本の関係を考えると、山登りがあって本がある、本があって山登りをする。山岳会の黎明期には必ず登山した記録等を残し、後世の人達はこれらを参考にしていた。図書室の歴史ついては、昭和4年に当時の松方三郎らが虎ノ門に図書室と集会室を造った。しかし昭和20年5月の東京大空襲ですべてが灰燼に。昭和24年にお茶の水にルームができ図書室もやっと再建されたが、蔵書が増える毎に引っ越しの繰り返し。昭和52年から現在の地に落ち着いている。本の入手方法については、年間の図書予算が2万円程度のため寄贈書に頼っている。纏まっている書籍類は「文庫」として蔵書しているという。例えば、神谷文庫、山崎文庫(473冊)、望月文庫(290冊)、磯野文庫(明治屋創業者)などがある。これらの中には非常に貴重な本も含まれているので利用価値が高い。本に関するエベントとして、年始晩さん会のときに「図書交換会」を開いているが、もともとは昭和10年に山岳会創立30周年記念図書博覧会から始まったもので昭和35年にはヒマラヤ文献展覧会が丸善を中心にして行われた、昭和37年深田久弥氏の「この一本展」という会員からの自慢の図書を出品する会。その後、深田久弥氏が図書委員長のときに「図書交換会」を始めたものの中断に追い込まれ平成19年から再度行われるようになり現在に至っている。
最近、若い人が図書関係に加わり山の本に関心を持つようになった。山の貴重な本があるのだから利用すべきだ。熱い心がないと出来ない無償の仕事であるとして講演を終えた。講演後の打ち上げで、近藤氏が豪快に飲んでいるので昔の「山家」を見ている感じがした。山の図書から多くのことを学んだ者として、もっと山の本に会員が関心をもち、せっかくの「お宝」をもっと利用してほしいと強く思った。                (文責:原山恵津子)
出席者:近藤雅幸 小嶋一男 小清水敏昌 金子浩 下田俊幸 副島一義
田村俊介 原山恵津子 三渡忠臣 宮川清彦 山口峯生 横山厚夫 横山康子    吉田敬(計14名)


■第68回サテライト・サロン町田 新年会「南房総の水仙」報告
「安房の国は、頼朝ゆかりの地だった」
(皆川 靱一)
新春早々からの天気予報では、新年会当日の1月14日周辺は大寒波が来るとの予報が大外れの、暖かくて気分のいい小春日和。内房線保田駅での待ち合わせ時間は午前10時だったが、横須賀線の人身事故で影響を受けた参加者のうち1人が遅刻することが分かった。しかし、途中の乗換駅での混雑などを想像して、遅れはかなり長くなるのではと覚悟をしていた。それが携帯メールのやり取りでそれ程長く待たなくてもいいことが判明、しばらくして列車が到着。ホームに降りて「すみませ〜ん、遅れてしまって」の声に、「平気よ、貴女の責任じゃないのだから」と待っていた仲間が拍手で出迎える。総勢8人、全員集合だ。いつも、仲の良い町田サロンらしい、気持ちの良い情景である。
列車到着までの間に、リーダーの植木ご夫妻の判断で急きょコース変更を決め、水仙を楽しみながら照葉樹の稜線を上る、ひときわ高い嵯峨山登山を諦め、タクシーを予約しておいた判断力には脱帽である。2台のタクシーに分乗、水仙の畑だけでなく千葉県の県花・菜の花や梅、河津桜が咲き始めている佐久間ダムへ。これで予定時間との時差が解消、見事な時間調整の技だ。駐車場は水仙見物ツアーの大型観光バスが既に5〜6台駐車中だった。
ところで、房総の水仙の里として知られるここ、鋸南町保田付近では江戸時代から水仙が生産され、船で江戸へ出荷されていたそうである。中でも特別に人気の二つの名所があるという。一か所は我々が初日にその芳香に引き寄せられて、佐久間ダムから上り坂を選んで歩いた「をくづれ水仙郷」と呼ばれる大崩地区一帯。もう一つが、二日目に全員がなだらかな斜面に咲き誇る圧倒的な量の水仙畑に心奪われた「江月水仙ロード」である。二日間、その二つを仲間とかなりの距離を歩き回り、清々しい水仙の香りに心の隅まで優しく洗われた心地良さ。春を先取りしたこの美しくも素朴な喜びは、以前実施した「曼殊沙華を見る会」と同様に高く険しい登山が不慣れな私には、里山・低山歩きの醍醐味味であると思った。
高山や里山に限らず、町田サロンの企画には、いつも学ぶ点がたくさんある―これは薄学の私には、とても有益である。今回の旅でも、二日目の江月水仙ロードの散策で鎌倉幕府を興した源頼朝との深い関係を知ったことだ。
「伊豆で流人生活を送っていた頼朝は平家打倒を掲げて挙兵したが、石橋山の決戦で敗れ、海路ここ安房に落ち延びたのである。上陸した頼朝は、各地の豪族へ書状を送り、わずか14日間で安房の豪族たちを味方にして一大勢力となり平家を滅ぼし、鎌倉幕府を開いた」―との史実が観光客用のパンフに書かれていた。実際、江月水仙ロードには、頼朝が岩穴に身を隠した頼朝隠れ里や馬つなぎ石などが残され、安房勝山駅に近い上陸地竜島海岸には立派な石の史跡がある。
新年会は、勝山海岸にある海と夕日の展望風呂の民宿「おしなや」で旬の地魚中心の豪華版であった。(了)
参加者:石原、桐山、丸山、鎌田、仲川、植木信久、植木淑美、皆川 (計8名)


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第42回サテライト・サロン吉祥寺報告
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