サテライト・サロン活動

■第32回サテライト・サロン吉祥寺報告
 平成27年11月25日午後6時半から「山は学び舎―山の辺の暮らし方」と題して町田在住の市川義輝氏(9199)の話が始まった。沢山のカラー写真入りレジュメを基に、山を通しての数々の体験を語った。冒頭に4つのテーマについての概要を説明。続いて@南アルプスの山麓のわずか40戸の早川町の暮らしでは、年寄が多い為にお互いの助け合いが生活を支えていた。一方で信州蓼科の別荘では、鹿、サル、イノシシなどの動物相手の暮らしがあり、鹿の生態やその解体の仕方などを罠猟師から教えられた由。地元では森林や畑などが鹿やサルなどに荒らされる被害があり 電気柵が必要であるが、この管理が不十分だったために人の感電死事故が起こった。生活圏の違いで多様な経験をした話。A視覚障害者へのボランテャア活動から学んだこと。A駅伝を最初に唱えた人でマッターホルンにも登頂している日本山岳会員の麻生武治翁の話では、正月恒例の現在の箱根駅伝は読売新聞社前からの往復を競っているが、当初は報知新聞社の前からスタート。学生が主体なので土曜日の午後に開催されていた由。B若い人が山で死んだ話の例では、春山の北アルプスや立山の国立登山研修所で初めて死亡事故が起こった時に この対応を巡って問題視され遺族との争いにもなった話。C20世紀初頭に英国人の探検家シャクルトンによる南極点到達の企ての話では、隊員を募集し南極点まであと160kmの地点まで到達できた(1908年)。その後にアムンゼンが1911年に南極点に達した。そこで彼は南極横断を考え隊員を公募して南極を目指したが、乗っていた船が氷によって破壊された。その後の脱出劇と救助劇が全世界の人たちへ感動を与えたという話。更にわが国の初期の南極観測活動にも話が及び、タロ、ジロのカラフト犬が奇跡的に生き残っていたことについても触れた。丁度出席していた当時の観測隊員だった中村純二氏がタロとジロの話を追加紹介。アザラシの糞を食べて生きていたので、救出された際には犬用のエサには反応もしなかった由。
演者は蓼科などの山麓に住んでの生活や自然、あるいは山岳活動、南極探検家の話など、非常に多彩な内容であった。寒い夜にも拘わらず23名が集まり、恒例の懇親会には17名が参加して演者を囲み意見交換をした。
(文責 小清水敏昌)
出席者
市川義輝 中村純二 中村あや 田村俊介 金子浩 川越尚子 柄澤洋城 河野悠二 小嶋一男 下田俊幸 徳永泰朗 永田京子 西村智磨子 西谷隆亘 長谷川公子 宮川清彦 三渡忠臣 渡辺篤夫 山口峯生 吉田敬 原山恵津子 副島一義 小清水敏昌  計23名


■第57回サテライト・サロン町田報告
―― 『「山の日」制定の意義と、自分を見直す旅』 ――
・日時  11月27日(金)
・演者  全国「山の日」協議会顧問  成川隆顕氏
 講演会で、成川講師はまず『今年の初夏は一人で、ブラジル、ペルーを一月ほど旅し、アンデスの山々を見ながら、78歳の自分を見つめ直してきた。まだまだ元気でやれることが確認できた』と語り始めた。
それから「山の日」制定に取り組んだ7年間の活動を振り返り、『日本山岳会を中心とした山岳5団体での準備段階、自民党の谷垣禎一幹事長(東大山岳部OB)を巻き込んで、超党派の国会議員連盟を発足させるなどしてスピーディに国民の祝日「山の日」を制定することが出来た。今後は全ての地域で「山の日」を地域の活性化、健康と生きがいの創生につなげて欲しい』と結ばれた。
その後、ご自分の山とのかかわりに話題を移し、早稲田大学入学から登山を始めたこと、遭難事故や、日本人初のエベレスト登頂者である故松浦氏、故植村氏の思い出、早稲田大学山岳部で行ったローツェ・シャール遠征、などを語られた。
大きな会場ではなく、少人数の懇談会だからこそ聞ける“ここだけの話”に出席者は大満足。成川氏の軽妙な語り、成川マジックに時間を忘れる講演会でした。当然ながら近くのお店で、“一ノ蔵の一升瓶”を囲んでの二回戦も楽しみました。
(文責 今村千秋)
出席者
成川隆顕、今村千秋、高芝一民、丸山さかえ、小宮真理、片野スミ子、竹中彰、鎌田正彦、原満紀、北野忠彦、宇野良夫、植木信久、森静子、桐山裕子、平井康司、植木淑美  以上 16名


■第59回サテライト・サロン町田開催案内
― 新年会「葛城山〜発端丈山と金冠山」―
2016年1月5日(火)〜6日(水)一泊二日
海の幸の美味しさで大好評だった伊豆の民宿で懇親を深めましょう。
今回は、藪田益資さんと上田昌子さんの傘寿のお祝いの会を開催いたします。
集合:JR 東海道線 三島駅南口改札口 9:05 (時間厳守)
行程:@1月5日三島駅9:15発⇒(伊豆箱根鉄道駿豆線.ICカード不可)⇒9:40田京駅⇒(タクシー)⇒10:00小坂みかん狩り園10:10→葛城山登山口10:45→竜神岩→11:15葛城山(452m)昼食12:00→12:50葛城山分岐→益山寺分岐→13:30発端丈山13:50→15:00三津、長浜登山口⇒(送迎車)⇒民宿やま弥(歩程:約3.5〜4時間)
*やま弥(沼津市西浦平沢92-4) п@055-942-2477
*葛城山ロープウエイ利用のショートコースをご希望の方は、申込時に申し出てください。
A1月6日 宿 8:30発⇒(送迎車)⇒9:00戸田峠9:1→金冠山(816m)9:50→沼田市民の森(大スギの巨木)11:30→禅長寺12:45→13:35木負農協バス停⇒(バス)⇒沼津駅15時頃解散予定」(歩程:約3.5時間)
※沼津駅行きバス 13時20分、50分  14時16分、50分
地図:1/25000  韮山、達磨山
持物:日帰りハイキングセット、5日昼弁当、雨具、防寒具、ライト、非常食、非常用品、コンパス、一浴セット、常備薬。
会費: 13,000円程度(一泊二食、6日昼おにぎり弁当、新年会、現地タクシー代) *バス代は各自支払。
※今回も、差し入れ大歓迎。いつも、ご協力有難うございます。
担当:桐山裕子(090−7949−8051) 植木淑美(080−1348−7164)
申込:植木淑美 fax、п@042-734-1498
締切:定員 15名になり次第。最終期限 11月1日(月)
※雨天の場合も、計画を観光等に変更して実施いたします。


■第56回サテライト・サロン町田報告
― 丹沢山塊「高取山(556m)〜聖峰」― (11月7日)
町田サロンでは、これまで主として関東ふれあいの道、富士・箱根トレイル及び信越トレイルを歩き、「たかとりやま」シリーズとしては今回4回目であった。丹沢山塊の里山、高取山を訪ねた。その昔、大名や貴族などの山野の遊びとして鷹狩場で鷹を捕らえたということから、この名が付いたのであろう。この山名には古のロマンと猛々しさが感じられるが、今はその趣はない。
 丹沢で、ハイカーにとって嫌なことは、春先から初冬にかけて山蛭が広範囲にはびこっていることである。 鹿、猪が増えて、山蛭の被害が急速に広がっている。所々に「やまひる注意」の看板を見かけるが、早急な対策を願っているのは私一人でないであろう。  幸いなことに、11月に入ったせいか、今回の山行ではヤマヒルは見当たらなかった。
昼食をゆっくりとるため、高取山への登りルートを変更し、蓑毛行のバスで東中学校前で降り、東京カントリー倶楽部の私有地を通させてもらう。ここは、ゴルフ場の専用道路でプレイヤーの車の往来が激しい、紅葉真っ盛りの中、前方に大山、手前に浅間山、これから登る高取山、後方には富士山、箱根の山々が広がっている。 ヒヨドリが甲高い声でさかんにミカンをつつき、のどかな里山風景でもある。
 カート道を注意しながらout8番グリーンのそばの鹿よけゲートをくぐると本来のハイキング道路に戻った。 全員、はじめてのルートなので道を探しながら進む、急坂の連続で一汗かいたところで二等三角点がある高取山山頂に到着。
南側の木の間越しに相模湾の一部が見えるが、展望は良くない。 急坂を5分ほど下ると聖峰分岐に到着。「聖峰25分、神戸バス停1時間20分」の案内板がある。 今日一番の難所である急階段が続き、慎重に下る。
下りきったところから尾根道で、ヒノキの樹林帯を過ぎると大展望の聖峰に到着。 すぐ下の不動尊前の陽だまりで、きのこ汁を囲みながら芝生やベンチに座ってゆっくり昼食をとった。 「聖峰を守る会」世話人で、人柄の良さそうな西野さんという方が見回りにきて、普段開くことのない明治22年再建立の石の不動尊を開帳してくださり感動した。山頂の一角には「ここの不動尊は長寿、安産、足腰の守護仏である・・・」などと説明文がある。足腰が弱った高年登山者には願ってもないことである。
下りは女坂ルートをとり、途中には両サイドに、みかんオーナー制度の農園(年間1本7千円で40kgの収穫が見込まれる)があり、農業経営も高齢化と人手不足で変化しているようだ。曹洞宗の名刹保国寺と、三之宮の比々多神社に参拝し帰路についた。(記 植木信久)
参加者
石原康生、北野忠彦、上田昌子、桐山裕子、片野スミ子、高橋善数、植木叔美、小宮真理、植木信久 以上9名


■第55回サテライト・サロン町田報告
― 「秋の信越トレイル A」 ―
実施日 10/23(金)〜25日(日)
北陸新幹線飯山駅に参加者11名、集合。
長野と新潟の県境、標高千メートル程の開田山脈は、16の峠を結ぶ80キロのロングトレイルである。
春に引き続き、2回目は中間地点の関田峠から北の方面を歩く。
1日目、この日は、標識のまれな「巨木の谷」を歩く為、信越トレイルクラブのガイド 1名がついた。
関田峠から筒方峠を経て黒倉山1242m、鍋倉山1289mへ。標高差150m程で、紅葉はそろそろ終わりに近い。
冬の積雪が、7m以上の豪雪地帯で、日本海からの強風と雪の重みで湾曲した木々やオオイワカガミの群落がつづき、ヒメアオキ、エゾユズリハ、ユキツバキ、コシノカンアオイなどこの地ならではの植物が続く。
鍋倉山からは樹齢400年程のブナの木「森太郎」のある巨木の谷を下る。ナナカマド、山ぶどう、サルナシの実も豊かに実る。
宿に戻ると摘み立てのりんごが籠に大盛りで、「ご自由にどうぞ」と嬉しいオモテナシ。
2日目、梨平峠から北へ伏野峠まで。所々で上越の町が見渡せる。
良く晴れていれば遠く日本海、佐渡ヶ島まで見えるそうだ。
ブナの実は当たり年なのか、どの木も沢山の実をつけている。食べてみると香ばしく美味。クマもたっぷりと栄養をつけて冬眠に備えられる事だろう。
途中、ひっそりと佇む、周囲300m程の幻の池にサワフタギのルリ色の実が美しい。
ゆったりとした行程のなか、たっぷり取ったコーヒータイムを満喫。
下山後は、表情豊かな素朴な人形の「高橋まゆみ美術館」を訪れた。仏具店通りを眺めて、みんなの明日の非常食用に「栗大福」を購入。早目に宿に着き、温泉でのんびり。
3日目、深坂峠からトレイル最北の地点 天水山を歩く。
堂々とした大木の素晴らしいブナ林が続くルートで松之山口まで歩く。
昼には宿にもどり、一浴、蕎麦と天ぷら漬物の昼食、この宿の食事は地元ならではの料理の数々に、最後の〆のご主人自らの手打ち蕎麦は最高であった。食事の為だけにでも泊まりたい宿であった。
その後飯山駅まで送っていただき、解散。その土地に根差した生活と歴史を感じさせる、すべて送迎付きのゆったりとした行程の山旅でした。
(記:松川信子)
参加者
平井康司、平井安乃、森静子、石原康生、鎌田正彦、宇野良夫、植木信久、松川信子、丸山さかえ、小宮真理、植木淑美  11名


■第25回サテライト・サロン立川報告
――玉川上水A 都立薬用植物園 ――
2015年10月12日開催
玉川上水に沿って歩いてきた。この辺りまで来ると,上水としての役割はなく,単なる歴史的遺構である。しかし,水と緑の自然環境を維持し,その保全に威力を発揮している。東大和で都立薬用植物園を見学した。案内は,ボランティアのガイドにお願いした。
植物園は1946年に開園した。3.2haの広さに約1600種の薬用植物が栽培されている。ゲンノショウコ,ヤブラン,ハッカ,ウコン,ヒガンバナ,コウホネ…。よく出合う花々が有用植物として保護されていた。野草を薬にしてきた先人の知恵に頭がさがった。
参加者 8名


■第31回サテライト・サロン吉祥寺報告
 山に登るには それなりの体力が求められるが、とりわけ脚力が最も重要であると考えている方々が多いと思われる。9月30日午後6時半から吉祥寺の本町コミセンで、(株)ミウラ・ドルフィンズの宮崎喜美乃氏に「山を快適に登るために必要な脚力」と題してお話を伺った。スライド映写とトレーニングに要する筋肉部位を実際に示しながらの分かり易く解説した講演だった。演者は鹿屋体育大学で中村正嘉教授の下 運動生理学を学んだ少壮気鋭の女性研究者である。現在もこのテーマに沿った研究を続けている。講演で、最初は走ることに興味があり研究対象として「走る」ことを始めた。最近は登山にも取組んでいるが、走るのも研究を兼ねて実践しているとのこと。丁度、講演の前の週に富士山一周トレイルラン(ウルトラ・マウントフジ)の半分の80.5kmコースで優勝をした由。小柄でどこにそんなパワーを秘めているかと思うほどの身体である。講演の内容は、今年5月に高松で開催された日本登山医学会において、宮崎氏らが発表したもの。加えて当日は過去に研究した結果などを図や表にした科学的な説明もあったので、我々も「なるほど」と頷ける説得力のある話であった。講演終了後に出席者から沢山の質問が出たので、宮崎氏はこんな状況になるとは想定外で、自分でも勉強になったと謙虚に述べ、午後8時過ぎに終了になった。宮崎氏は恒例の懇親会にも快く出席して下さり、参加16名で演者を囲んでいろいろ意見交換を行った。
*なお、宮崎氏のご好意により当日の講演スライドを頂いたので添付します。もしこれを個人ではなく広く利用する場合には、著作権の関係から必ず出典を明示して用いるようにして下さい。また、日経新聞10月3日の夕刊に氏が所属する(株)ミウラ・ドルフィンズの三浦豪太氏が宮崎氏のことを取り上げて写真入りで紹介しています。日頃一緒に仕事をしている立場から見た宮崎氏のプロフィールや仕事に取組む謙虚な姿勢などが書かれています。
吉祥寺での講演の様子からも伝わりましたが、氏のお人柄を改めて感じとることができるので是非ご一読下さい。(記録:小清水敏昌)
講演スライド資料のダウンロード
参加者
荒井正人 市川義輝 大橋基光 岡義雄 鬼村邦治 小野勝昭 笠原功 金子浩 川村光子 清水茂美 田中清介 中村哲也 中村照代 仲谷朋尚 西谷隆亘 西谷可江 西村智磨子 平井康司 松本恒廣 八木佳苗 山口峯生 吉田敬 原山恵津子 副島一義 小清水敏昌(計25名)


■第54回サテライト・サロン町田報告
― 地球一周の船旅」 ―
開催日 平成27年8月26日(水)
講演者 高橋善護
本年4月12日から7月25日までの105日間、ピースボート(オーシャンドリーム号35,256トン)に乗り西回りで地球一周の船旅をされた演者から話を伺った。
長い船旅をする時の必要条件は、@ゆとりあるお金があること、A健康であること、B長期留守しても心配のないこと、C楽しめること(積極性、孤独慣れ等)との事。どれをとっても、下界で長生きしていく条件と全く同じというお話であった。
1人分の船旅費用は、二段ベッド4人部屋で早割137万円、2人部屋窓ありのスタンダードタイプの早割は170万円、バルコニー付きバス付2人部屋は早割で350万円。参考に豪華客船「飛鳥U」の最安の窓ありバス付きステートタイプで422万円である。
乗船客は1才から90才までの約1,000人で、若者100人に高齢者900人。平均年齢68歳でそのうちリピーターが4割で、約6割の人が女性とのことで、元気印の洋上老人ホーム風動く洋上ホテルだったと印象を語った。船中の食事は全部費用に含まれていて、これとは別に居酒屋で、特別料理や寿司、ステーキ等有料で何でも食べることができる。
船は南シナ海からインド洋、海賊出没海域からスエズ運河を通り、地中海、バルト海に入り大西洋からカリブ海、パナマ運河を抜けて太平洋に出て地球を一周してきた。寄港地は25ヶ所で、どの港でも朝着岸、夜出発の半日位の滞在時間だったので、上陸しての観光地巡りは急ぎ足になってしまった。船中では各種行事が記載された新聞が毎日配布され、船が企画したパーティや講演会、カルチャースクール(無料)などの行事のほか、乗客の自主企画による麻雀、囲碁、将棋、ダンス、ウクレレ、南京玉すだれ、マジック、彫刻、折り紙、手芸、習字、謡曲など多種多様なカルチャースクールが開かれていて、各人の好みでそれらに参加したり、デッキで読書をしたり、夜はバーや居酒屋で寛いだりと毎日飽きることなく船旅を楽しむことができた。
旅行中、雨に出会ったのが2日間という天候にも恵まれ、船酔いも無く、ノルウェーのフィヨルドやアイスランドでは雪景色も堪能した。すべて自分自身が背負い動かねばならない登山行為とはまったく真逆で、一切手ぶらですべてお任せの船旅は、高齢者のリピーター率が高く、その人気ぶりがうかがえる。人生100歳近くまで元気でおられる皆様に是非一度はお勧めしますとの事でした。
海外旅行保険は、JAC団体登山保険に加入していれば、船内又は現地で怪我をした場合保険金は支払われる。また同保険は病気等の疾病治療代は含まれていないが、現金で支払い帰国後国民健康保険に申請すれば1割負担の方は9割分の払い戻しが可能との事でした。(記・原 満紀)
参加者
石原康生、上田昌子、植木信久、植木淑美、鎌田正彦、片野スミ子、小宮真理、仲川侑子、原満紀、高橋善護 計10名


             ■第30回サテライト・サロン吉祥寺報告
・平成27年6月17日(水) 午後6時30分から
・「アンナプルナW峰登山隊 ネパール大地震・報告会」
・演者  三渡忠臣 氏
□開演前
現場の写真を投影用にプロジェクターは準備しておりましたが、三渡忠臣氏はデータチップだけを準備され、パソコンは持参されませんでしたので、本町コミセン、ヨドバシカメラ、に借用を問合せましたが、「ありません」との事で 映像は無しで始めました。
□配布及び貼り付け資料
1.ネパール全国の大図面を白板に磁石で貼り付ける。
2.展示用パネルに写真を貼り付けて、座席へ回覧しました。
3.A3版用紙(参加者へ配布)2枚の内容。
1)主題の「アンナプルナW峰へのこだわり」は、「青空に聳える高い峰を見て、あそこえ登ったらどんなにか気分がいいだろうな と思う。それが登山の言葉である。」との、月刊誌「岳人」編集員高須茂氏の言葉がしっくり胸に届く山なのです。
2)アンナプルナ山群は、カリガンダキ川とマルシャンデイ川に囲まれた膨大な山域で、トロンパス峠5416mを越える縦走路の説明。
3)2012年9月27日〜10月18日の22日間にアンナプルナ・トレッキング隊は、多摩地区の8名が歩き、途中アンナプルナW峰の北面を見渡せるソブジェコーラの4800mまで登高してルートを探索しました。
4)1950年英国人ティルマン氏が試登したコースを登る計画です。
5)隊員の紹介
☆本條文美子氏
・神戸須磨の主婦、三渡百合子婦人の友人。
・パラグライダーの指導者。
・山暦;ネパールへ5回のトレッキング、ヨーロッパアルプスへも。
・特技を生かして、スマホ、衛星携帯電話で留守本部宮川清彦氏との通話。
☆渡邊龍男氏
・甲府市で会社経営。
・ホシ山旅旅行会社パダム社長から紹介された。
・山歴;マッターホルン、ワスカラン、など、国内冬季登山多数。
・克明な食料計画、7000m用個人装備、で2日前に本隊より2日前にネパール入り。
☆三渡忠臣氏(演者)
・2000年入会、00会、東京多摩支部設立準備事務局長。
・杉並区山岳会でチョオーユー、プモリ、モンテローザ、等。
・企画立案、隊長。
6)登山許可証の不可思議。
カトマンズ到着の翌日4月11日、ネパール観光省で登山許可証が手渡されたが、日本人3名の他、ロシア人(男女1名づつ)、エストニア人(男1名)の名前があった。
1ヶ月まえ、現地ホシ山旅旅行会社パダム社長から訳の解らないメールが届いた。
渡邊氏、本條氏と相談し「一切、応じられない」と返事をしたあったが、パダム社長、サーダー、に聞いても要領を得ない。2隊員と相談の末、静観することとした。その後、入国、入山、の手続きとルート工作等の経費削減の為、書類上で一緒になった、との事でした。
7)ネパール側スタッフ、ポーターの役割と氏名、年齢。
・カトマンズのホシ山旅旅行会社 社長パダム氏
・登山スタッフ 8名
 @サーダー    Tul氏 48歳
 ABHAPスタッフ    2名(46歳、22歳)
 Cコック     Kabir氏 48歳
 DEキッチンボーイ  2名(41歳、22歳)
 FGシェルパ     2名(46歳、19歳)
・ローカルポーター  12名(48歳〜17歳)
☆発表
上記を基に話を進めました。まず、2012年秋のトレッキングコースを説明し、その途中、2泊3日で周回路からサイドトリップしてアンナプルナW峰の雄姿を眺めて、登頂熱が上がる。同行者の宮川清彦氏が不参加で、留守本部を担当、新たに本條文美子氏、渡邊龍男氏が参加。
―日程―
4月13日カトマンズを出発。
第一日目から、雪崩による土砂崩れで、車の通行不可能、日程変更で高所順応訓練(チュールFE;6092m)を割愛する。荷物は、テント10張、フィックスザイル2200m、食料、燃料、個人装備、を含めて2tをロバ隊(22頭)とジープでフムデ(Hongde;3300m)まで運ぶ。
15日 高度順応の為、チャーメ(Chame;2600m)から歩く。
18日 サーダーTul氏を先生に、岩トレーニングをする。
19日 スタッフ7名、ポータ12名、は17日から集落から5〜6時間のBC;3800mへ今日までで荷揚げ完了。
東京ドーム2〜3個程の窪地で、飲用可能な水あり。ロシア隊のテント4張は先着していました。
20日 スタッフ7名はA・BCへ荷上げ整地して、シャワーテント設営、お湯を沸かしてもらい、交代でさっぱりする。
23日 BCから4〜5時間のA・BC;4800mを設営。C1へスッタフがあがる。
25日 小雪、濃霧。11時56分  地震発生!! C1テント先150mでスノーバーをセットし、3ピッチ部分の間でザイルを伸ばし終えたところでした。登山活動中で、体感震度は3〜4程度であった。左手上部から雪崩が発生した。先頭でルート開拓していたHAP2名が雪を被った。必死に既設のザイルを掴み、直後ろに居たサーダーが2名を引き擦り出した。6名のスタッフは午後3時過ぎに、BCに降りてきた。
26日〜29日 休養日とした。登山日程4案を協議。
26日 野菜の購入、情報収集に、フムデまで往復した。スタッフたちの家族は無事ですが、家には入らないで庭で過している、との事でした。
29日 朝食後、隊員3名、サーダー、HAP2名、で30日〜5月12日までの下山の予定を合意、了承した。午後2時8名が面会、陳情にテントを訪問。HAP以外の5名が「登山の中止をお願いしたい。自分達の家族が水道から水が出ない。食べ物の入手に困っている」とう発言があった。隊員3名で登山を中止する事を決定、サーダーへ連絡、全員へ伝えてもらう。
30日〜5月1日  A・BCから荷下ろし。
3日 夜半から降雪多い。ロバ12頭が集荷に来て、長い隊列でフムデまで下山する。
4日 四駆で悪路をベジシャールまで戻る。
5日 (地震発生から11日目)カトマンズまでの道々、地震の破壊跡を見て、車窓から写真を撮る。救助隊も見ました。此の時の写真を、座席に回覧して、拝見する。
Fujiホテル到着、山の汗と汚れを洗い流す。
6日 12日帰国のチケットが予約できる。夜、ホシ山旅旅行会社社長パダム氏の庭でスタッフ達と、コックKabirカビ氏の食事で会食をする。
12日 9時ホテルまでスタッフが迎えにきて下さり、空港へ、昼前に離陸する。この日の、地震には遭遇しませんでした。
(記録 副島一義)
参加者
三渡忠臣、三渡百合子、宮澤美渚子、佐藤允信、原山恵津子、山口峯生、宇田俊二、山城政安、斉藤真紀子、田鹿真悟、大倉昌身、佐野正之、津田保太郎、吉田文子、綿貫誠一、西谷隆亘、西谷可江、綾部初江、河野悠二、西村智磨子、須貝敏行、須貝澄絵、大橋基光、時田昌幸、本間正士、荒木富美雄、大島洋子、田中清介、永井敬七、徳永泰朗、樋口裕幸、平井一男、金子浩、吉田敬、小清水敏昌、副島一義  計36名


■第53回サテライト・サロン町田報告
― 車座会、打ち合わせ会 ―
6月17日(水)
5月逝去された「寺田和雄(12343)前町田市長と「中野有倫さん(15391)のご冥福をお祈りした。 かねてより、講演会の依頼をし日程調整をしている最中の訃報に驚き、5月31日開催された「寺田前町田市長のお別れ会」に3名が出席。在りし日の寺田会員の歌声が流れ、作家 森村誠一氏のお話しに改めて、そのお人柄を偲んだ。(植木信久)
今後のサロン活動についての検討会を開催。
2009年9月神崎忠雄会員の発案のもと、支部設立準備会における町田地区担当の植木淑美を代表としてサテライトサロン町田は発足した。
2010年4月、草戸山に集合した13名の世話人で実質的にスタートした町田サロンは、6年目を迎え、お互いの個性、経験、特技を知ったところで、今後の活動について真剣に話し合った。
この話し合いに先駆け、2015年4月、サロンについての感想、企画実施について参画の希望、経験等のアンケートを実施した結果報告を行った。(植木淑美)
アンケート配布数:25通。回答 21通、 無回答 4通
[申し合わせ事項]
1. 全員参加型サロンを目指して、それぞれの出来ることで協力して運営することの確認。
2. サロン計画幹事の打合せ会を定期的に開催する。
3. 野外集会開催時の留守本部を増員する。留守本部の役割の確認。
「遭難した、助かるためにどうする?」栃木県警資料を配布。
4. ワンコインランチ開催について賛否両論あるが、前向きに検討する。
5. 27年8〜11月計画の詳細は、後日の打ち合わせ会後に決定する事とする。幅広く、多種多様な企画をし、全会員がそのどれかに参加できるよう配慮する方針を再確認した。他のサテライトサロンとのバランスに配慮しての開催回数自粛については、しばし現状のままとする。
出席者
高芝一民、原満紀、石原康生、北野忠彦、植木信久、桐山裕子、片野スミ子、高砂寿一、仲川侑子、丸山さかえ、植木淑美、小宮真理 計12名
(植木淑美 記)


■第51回サテライト・サロン町田報告
― 読図山行/倉岳山 ―
5月16日に実施予定であった実地講習は、延期するも二度にわたり雨天の為、今回は中止といたしました。
(植木淑美 記)


■サテライト・サロン多摩報告 (第1回〜第3回)
「多摩サロン」一か月(2015年5月) を終えて…… 
 組織があって会員がいるのでなく、会員がいて組織があるという考え方を基本に多摩サロンの開催を準備いたしましたが、日本山岳会の会員の気風には馴染まないサロンと予想しながら、ヨ−ロッパの山岳会会員に聴いたヨ−ロッパ式会員サロンを実践してみました。
 会員が自発的に集まり放談、雑談、駄弁詭弁を含めた自由奔放な語り合い、談話の中にクラブライフの楽しみ、親しみを掴み会員としての使命を果たしながら、格式や品格ある自分たちで自分たちの山岳会づくりのサロンの抱負を抱いて集会日を特定して多摩サロンは出発しました。
     集会日 朝会 毎月第一土曜日 朝9時00分から11時00分
           夜会 毎月第三金曜日 夜7時00分から9時00分
     会 場 京王線・聖蹟桜ヶ丘駅前「関戸公民館」
 第1回の朝会は2015年5月2日、11名の会員が参集、初めてということもあり、出席者の自己紹介のなか自分がどのように山岳会と関わってきたかのト−クショ−となったが、結構山岳会の昔の事情や歴史が織り込まれていた。
第2回の夜会はやはり10名の会員が出席、このサロン、どんな在り方、進め方にしていったらいいかという出席者の私見論議に花が咲き、山岳会の歴史を知らない会員が多いといった具体論を皮切に、考え方、経験、体験、技術、情報、知識などのレベルの差はあっても、会員としての責任や使命、理念ぐらいは、共有できる環境づくりにこのサロンを活用していきたい。そのために日本山岳会の歴史など「テ−マ」を設定して学習、勉強会的に進めていくことも望みたい。
 第3回の朝会は6名の出席者で、クライミングボ−ドの関係をしている会員、また、カンボジアのスポ−ツクライミングで青少年を支援している日本人が出席して、クライミング事情の世間話しになった、クライミングは登山では無いという雰囲気が未だ山岳会に残るなかで、自分の知らない世界、登山界の現状として興味深く話が弾んだ。
 有識者や経験体験者を呼んでの講演会、親しくなった仲間同士での山歩きも会員サ−ビスの一環として大切な集会だが、既に先輩サロンで開催。多摩サロンとしては、他でやらない会員が主役となる勉強会、読書会など、知識や教養の充実を目指したい。
 次回は6月の19日(金)の夜会、どんな集まりになるか担当の自分にもわかりません。 7月4日(土)朝会、17日(金)夜会と取りあえずお待ちいたしております。
(文責 神ア忠男)


■第52回サテライト・サロン町田報告
―― 信越トレイル@斑尾山黒岩山山行 ――
5月23日(土)〜25日(月)
今回トレッキングする、長野県と新潟県の県境にある関田山脈は、凡そ78万年に海底が隆起し、地上に現れたとされている。その後も隆起上昇を続け、1,000m級の山脈を形成 した若い第4紀層である。
長野県側はなだらかであるが、新潟県側は急峻な地形で、有数の地滑り地帯である。
日本海から30km程のところにあり地形的、気候的にも豪雪地帯である。
山脈には16か所の峠があり、信州、越後との人、物の交流が盛んにおこなわれた。
関田山脈の尾根伝いに、2004年に整備された80kmに及ぶ「信越トレイル」が開始された。
信越トレイルの第1回として、斑尾山から黒岩山をトレッキングする。
「コ−ス」
1日目:北陸新幹線飯山駅9:40集合―斑尾山登山口10:20―11:40斑尾山頂―12:00大明神岳12:30―13:50万坂峠―14:35沼の原湿原―15:40希望湖(のぞみこ)15:50―民宿MH(メイプルハイム)
2日目:MH8:00―8:20涌井8:35―9:50富倉峠10:00―大将陣跡10:15−12:00黒岩山13:00―熊の巣池―桂池14:35―MH
3日目:MH7:45―8:20希望湖8:25―(希望湖1周)―9:25希望湖―10:00毛無山―10:50涌井新池11:05―MH
*3月24日にオ−プンした北陸新幹線飯山駅に参加者12名降立つ。
送迎バスで斑尾山登山口へ向かう。スキ−場のゲレンデである「かえでの木トレイル」の急登を1km程直登,その後九十九折を喘ぎ喘ぎ登り上げる。
木々の間を暫く行くと、斑尾山頂に出る。小さな祠、石仏、三角点石がある。
ブヨの大群に見舞われ、一目散に300m離れた大明神岳に退避する。
南西面が開け野尻湖を俯瞰し、槍ヶ岳、飯縄山、戸隠山、高妻山、黒姫山、鹿島槍ヶ岳、妙高山等、皆で山座同定をし山を楽しみながら昼食とした。
斑尾山先の分岐点まで戻り、ゲレンデの急な下り「万坂、山頂トレイル」を一気に下る。
青空のもと、解放された空間、新緑の季節心も弾む。この辺はスキ−場が多く、間違えるととんでもない所に行ってしまう。
万坂峠でR97号線を横断し新潟県に入る。しばらく車道歩きし、「沼の原湿原トレイル」にはいる。小高い所で一息入れる。湿原を吹く風は心地よい。名残の水芭蕉、サワオグルマ、ミツガシワ等が見られ、リュウキンカの黄色が彩をそえていた。
今日の最終目的地である希望湖(のぞみこ)に向かって歩きだす。小高い丘の「生命の森トレイル」は植栽され整備されたル−トで、左に妙高の山並みを見送り希望湖へと歩を進める。
「希望湖トレイル」に出て目的地に到着する。
夕食は山菜寿しや、江戸時代から続く冠婚葬祭、目出度い時等人が集る際に振舞われる「えご」他、次々現れる創作料理に舌鼓を打つ。二日分としてキープした一升瓶も宵越しを潔しとせず平らげ、歓談に花が咲く。
2日目のル−トは積雪で林道、登山道の状況が悪く、安全を考慮して涌井〜桂池ル−トに変更した。
涌井の登山口の小高い所に、赤い屋根の民家がある。(現在は空き家)
以前、出版、TV放映された「雪国89歳の郵便配達おばあちゃん」の住屋である。
暫く林道を歩き、イカリソウ、スミレ、コイワカガミ等の花々が見られる。この地方は短期間で光合成が出来る様に太平洋側に比べ葉も大きいそうである。
富倉峠(681m)は関田山脈で関田峠と並び流通の大動脈であった。
飯山盆地が眼下に見下ろせるビュ−ポイントである。旧富倉峠道はここから少し外れ たところだが、戦国時代上杉謙信が川中島の戦の際70kmの道のりを一晩でこの峠を超えて戦いの場に向かったとのことである。
更に登ると、大将陣跡の案内板がり、上杉謙信が戦の際に兵を休ませたところと言われ ている。近くには、馬頭観音菩薩の石碑もあり人物の往来が多かったことを物語っている。ウワミズザクラ、紅色鮮やかなユキツバキやトリアシショウマの新芽の他、スカシダワラの蛾が網目状に編んで俵のような形の中に蛹が透けて見える。
この辺はすくっと伸びたカラマツも多く、樹液が垂れ落ち木々の葉が光沢をもったように見える。ギフチョウ、ヒメギフチョウの乱舞がみられる。
道筋にあるワラビを取りながら進み、ブナ林の急な坂を下って登り返すと黒岩山である。
黒岩山(938m)山頂には、積雪を考慮した5角形の東屋がある。
東側が開け飯山盆地、千曲川が眼下に見渡せ信州の山並みが連なっている。
日本の原風景である。宿のおにぎり弁当も一段と美味しい。
黒岩山は山自体が天然記念物に指定されており、「春の女神」と呼ばれる絶滅危惧種ギフチョウ(食草はカンアオイ)、ヒメギフチョウ(食草はウスバサンシン)が混成している。此処からは下る一方で、谷筋には残雪もあり、倒木も多い。少し登り返すと、カタクリが咲いていた。左に小さな熊ノ巣池、花の終わった水芭蕉サンショウウオの白い卵を見て歩を進めると、太郎清水の出口である。
冷たい湧水で喉を潤す。桂池に出てピックアップし2日目が終わる。
この日は、山菜料理に、日本酒の地酒「北光」で会話も弾む。
3日目は「希望湖トレイル」を一周する。斑尾山を背後に従えた希望湖は、静寂で落ち着いた雰囲気を醸し出している。飯山市の天然記念物の大きなヤエガワカンバの木が聳えている。水芭蕉の花も終わり、数人の釣り人がバスフィッシングを楽しんでいる。1時間程で湖を回り、毛無山トレイルに向かう。カラマツ林の九十九折の道をゆっくり登ると二等三角点のある毛無山(大平峰)山頂に到達する。
樹林に囲まれた開けた空間である。時間があるので山菜取りに興じる。
山頂から再び九十九折の樹林道を足早に降りると、涌井新池に出る。
希望湖、涌井新池共昔の農業灌漑用の池であった。
宿に帰り地元名産のそば、天ぷらで締めた。飯山駅で解散する。
*「富倉そば」は、つなぎにオヤマボクチ(山菜名ヤマゴボウ)の葉の裏の繊維を乾燥、晒し手間暇かけて作り、10万円/kgするそうである。
(平井康司 記)
参加者
植木信久・植木淑美・北野忠彦・小宮真理・笹本忠・平井康司・平井安乃・松川信子・丸山さかえ・森武昭・森静子・薮田益資  以上12名


■第1回サテライト・サロン多摩報告
◇日 時  2015年5月2日(土)朝 8:00-10:30
◇会 場  聖跡桜ケ丘「関戸公民館」和室2
◇出席者
市川義輝(9199) 今田明子(12125) 神ア忠男(6002) 坂本正智(8184) 澤登 均(6301) 副島一義(13339) 高橋重之(11808) 玉田眞一(13882) 林 栄二(10249) 広瀬雅則(15548) 矢野光之(15094) 伊藤忠男(カンボジア登山協会・クライミング支援)
12名
◇報 告
朝早くからの集まり、また初めての集まりに出席した会員に多少の迷惑がかかったかと思うが何とか予定通りの「朝会」が開くことができました。
「サロン」を辞書でみると、上品な社交的な集まりをするところという意味も読み取れ、担当としても緊張いたしました。初めての集まりなので自己紹介に終始しましたが、自己紹介のなかにも結構、日本山岳会の昔話や史実が聞かれた。今回はネパ−ル大地震を話題に模したが、テレビでの情報以上のものを知ることはないが、登山界あげて「日本主要山岳団体ネパ−ル大地震救援募金委員会」を編成して登山界あげての救援募金活動がはじまり、その協力方をお願いした。
次回は5月15日第三金曜日に夜会(やかい)として19:00から21:00までの開催を予定しています。テ−マはなく、とりとめもつかない談話会ですがマウンティンニアリング、アルピ二ズムなど会員間の情報交換、知識の共有など、会員としての教養を高め、誇りと自信で格式、風格高い日本山岳会を支えたい。ジャパン・アルコ−ル・クラブ(JAC)とはいきませんが、ジャパン・アルペン・クラブ(JAC)としてご参集をお待ちいたします。
(記録:神崎忠男)


■第50回サテライト・サロン町田報告
―― 読図実地A「生藤山」――
4月18日(土)実施  薄曇り
JR上野原駅で集合。9時33分 臨時バスに乗り込んだが満員で、終点手前の石楯尾神社まで立ち通しだった。終点、井戸バス停前で各自持参のシルバーコンパスを第一目標の三国峠(三国山)へセットする。広い道を下り気味に行き、道が左へ急に回り込んだところで、右手の軍刀利(ぐんだり)神社への参道を進む。大きな鳥居の手前に「ニリンソウ」が咲き乱れていた。
清んだ流れに沿って参道を暫く登ると長い石段の軍刀利神社の社殿に着く。
社殿は、立派な「天屋」に上空を覆われ守られていた。
社殿の裏を登ると堰堤が現れ、地形図で社殿の石段と堰堤の記号を確認した。すぐ奥には、山梨県の天然記念物のカツラの巨木が聳え、その後ろに奥の院があった。
ここから本格的な登山路となり山腹を巻くように登っていくと、足元に「ナガバナノスミレサイシン」を見つけた。登るにつれて、その数を増す。
スミレサイシンがこのようにまとまって生えているのを見たのは初めてだった。
「エイザンスミレ」もところどころ目につく。また、「アケボノスミレ」も何株か見られ、スミレの種類が豊富な道だった。やや開けた傾斜の緩い場所が現れ、すでに昼近いので軽食を摂る。少し登ると尾根に出、ヤマザクラを眺めながらのひと踏ん張りで三国峠山頂に到着、10人余りが腰を下ろしている。甲斐、武蔵、相模の国の三つ国境である。やや冷たい風のなか、昼食をとる。雲の中に薄く見える大菩薩、権現、扇山、三つ峠、富士山、丹沢の山々を確認して、生藤山に向かう。岩と木の根のいやらしい登りを攀じ、12時50分、二等三角点の生藤山に着いた。 集合写真を撮った後、生藤山を巻いて下りにかかる。さっき、通った井戸からの道の分岐を過ぎ、のんびり下る。桜が散り残っているベンチそばに荷を置いて甘草水を往復。さらに尾根を下って佐野峠からは、急な杉林をジグザグに下り、14時30分石楯尾神社バス停についた。15時31分発の上野原駅行きバスまでほぼ1時間あり、向かいの野菜販売所や神社境内でのんびりした。下山者も増えはじめ、30人ほどが詰め込まれて身動きできないほどであった。八王子駅近くで打ち上げ、反省会をして、今日の山行を終えた。(北野忠彦 記)
参加者
高芝一民、藪田益資、上田昌子、植木信久、片野スミ子、笹本忠、 平井康司、鎌田正彦、平井安乃、丸山さかえ、小宮真理、北野忠彦、 植木淑美   以上 13名


■第49回サテライト・サロン町田報告
4月4日(土)上野原・要害山
中央線上野原駅より10時25分発のバスに乗車し,鏡渡橋バス停で下車した。雨模様とのことだったが,当日は幸運なことに花曇りであった。
ゆず並木のある小倉集落に入るとあちらこちらで桜の花が満開であった。要害山頂は目印の大きな杉の木で分かる。
芽吹いてきた周囲の木々を眺めながら,ゆっくりと坂道を登って行く。舗装路が途切れた先に山神社のま新しい赤い鳥居が見え,参拝した。道標にしたがってゆるやかな山道に入る。途中でビューポイントの場所に寄り道した。
あいにく曇っていて富士山の眺望はできなかったが,晴れていれば雄大な景色が背景になるであろうと想像しながら記念撮影を行った。次第に杉林の急な登りとなる。 さらに急登なつづら折りの道を一気に登り,要害山(536m)の山頂にたどり着いた。長椅子の1つにおでん鍋を,もう一つの長椅子にはいろいろなドリンクを並べ,賑やかなワンコインお花見パーティが始まった。参加者の過半数を占める強力な女性軍の持参した美味なるおつまみと,おでんで笑いの絶えない至福な時間が流れた。頂上にはピンクのシデコブシの花が我々を歓迎するかのごとく咲いていた。
登山途中ではモクレンやジュウニヒトエ(しそ科)の花も見られた。昼食後,昨夜からの雨で滑りやすくなった道を,細心の注意をしながら下山した。
バス便の都合で帰りは新井バス停まで歩き,14時52分発のバスに乗り,帰京した。
(記録/原 満紀)
参加者
原満紀、北野忠彦、上田昌子、植木信久、桐山裕子、片野スミ子、笹本忠、平井康司、仲川侑子、鎌田正彦、丸山さかえ、植木淑美、小宮真理    以上 13名


■第22回サテライト・サロン立川報告
―― 要害山と桃の花見山行 ――
2月25日(水)
この山行の主要目的は、早春に、爛漫の春を訪ねることです。
朝ゆっくりと甲斐路号で、甲府に降り立つ予定でしたが、寒さをいとわぬ参加者の総意で、豊田発7時台の鈍行に乗り、予定どおりの10:00甲府に着きました。
花の里甲府盆地もいまだ、冬景色でした。遠景に見えるはずの白根の山々が、春に霞んで、現れないところだけが、春らしいと言えば言えました。が、これは強がりに過ぎません。
甲府在住の東京多摩支部会員里見さんと甲府駅で落ち合って、勇躍要害山に挑む?と言うほどではありませんが、武田信虎(信玄の父)の城と言われるようで、アルカイックではある。
信虎が、今川勢に攻め込まれて、その応戦に出ている際に、信玄は避難しているこの城で生まれたようで、信玄が産湯を使った井戸などもあった。ここから、甲府に出て、花観の道具である、酒と重を仕入れて、石和の富士見農協へ向かった。ここが当日一番の桃の花処を紹介してくれる。
未だ寒々しい里とは違って、ここだけは、すでに春に溢れていました。
車座になって、テーブルを囲み御重のほかには、甲州の銘泉『七賢』、上を見上げると満開の、羊々たる桃の花でした。
行き来する杯の数ほど酔いもまわって、年相応にくるべき春を言祝ぐいっときは、肩の凝りもほぐれるゆったりした時間でありました。
(記録:大船武彦)
参加者
西谷隆亘、西谷可江、里見清子、小口 治、下野武司、大船武彦  6名


■第29回サテライト・サロン吉祥寺報告
今回の3月18日(水)午後6時半からのサロンでは、「キンヤン・キッシュ登山隊記録映画上映会」と題し、久しぶりに昔の海外登山遠征隊の山岳映画2本を鑑賞しながら、羽村在住の西谷隆亘氏(14804)の話であった。1本目は今から丁度50年前の1965年(昭和40年)5月に東京大学がカラコルム遠征隊として、当時未踏峰であったキンヤン・キッシュ峰7,852mへ送り出した登山隊の記録映画。演者は当時 大学院修士課程を修了し、1年後の26歳で、同隊に参加し、装備を担当した。2本目は約40年後に同峰に興味をもった山岳団体「同人パハール」の「5度目の挑戦 キンヤン・キッシュ7,852m」の記録映画。
冒頭、西谷氏から本日のこの映画フィルムは一時行方不明だったが、東大スキー山岳部(TUSAC)のルームから発見され、DVDに変換された。東大山の会以外の人に公開されるのは初めてである事。そして TUSACがキンヤン・キッシュを選定した経緯などについて説明の後、40年後の登山スタイルと氷河の変化の相違を見比べて欲しいという解説があった。両隊とも最終的には登頂できなかったものの、その登頂への長期にわたる経緯が記録されていた。2本ともカラーの映画であり山の姿、高山植物、キャラバンの様子など手に取るように見ることが出来た。
1本目の解説では、東大山の会(スキー山岳部OB会)では従来からバツーラ山群カンピーレディオール峰に登山申請していたが、キンヤン・キッシュ峰に登山許可が下りた。しかし、当時 インドとパキスタンとの紛争のため、突然、登山許可が取消された。パキスタン政府と交渉した結果、幸い、送りだした船荷がカラチ到着直前に再許可が下りた。パキスタンのギルギット経由でナガールに14名(現地参加のナガール王国のミールの甥で儀典長のパキスタンの医学生1名と山崎豊子「沈まぬ太陽」の主人公恩地のモデルである小倉寛太郎氏を含み)全員が集結できたのは6月22日のことであったという。偵察の結果、南稜からのルートを採ることにした。途中、キャラバンのポーターの賃上げ要求にあったが、6月27日3,800mの南稜の末端・ビタンマールにベースキャンプ設営ができた。
7月下旬から1週間C4(6,000m)に吹雪で閉じ込められた後、8月7日から登攀を再開し、TC8(7,100m)まで高度を上げた。8月19日11時20分、7200mの地点で中村岳生氏が突然足元から発生した雪崩で遭難。捜索する様子が映されたが、悪天候のため断念とのナレーション。映画はここで終わる。帰路は完全に印パ紛争の影響で、ギルギットからラワルピンディまで航空便がなく、トラックの積荷の上に乗って、平時では許可が出なかったであろうバブサール峠越というおまけがついた。カラチからは、現地邦人帰国のための日本政府差し回しの特別航空便に間に合って、慌しい帰国であったという。東大山の会の会員たちは、再チャレンジを胸に秘め今日に至っている。
続いて、40年後にキンヤン・キッシュ峰に挑んだ山岳団体「同人パハール」の2006年に制作された記録「5度目の挑戦 キンヤン・キッシュ7,852m」が上映された。キンヤン・キッシュ峰を5年に亘って北面などから偵察を繰り返した後、漸く東大隊と同じルートの南稜からアタックを試みるが、予定の期間が過ぎたため断念した。東大隊の映画よりも画像は鮮明で無線連絡の音声をナレーションに利用したり、カラコルム地方独特の軽快な音楽を流しながらの映像であった。画面にはソーラパネルやパソコンなどの近代的な機器が出てきて時代の進歩をしみじみ感じさせられた。また、同じ山をアタックした1965年時代の周辺の氷河の状況と2006年の頃の状況とを比較するとかなり氷河が減少していることが鮮明に示されていた。
今回の参加者数は34名とこのサロン始まって以来の盛況で、特に本部の科学委員の参加も多く、関心の高さを示す内容だった。終了後、懇親会にも20名余りが参加して、演者を囲んで当時の遠征を始め様々な話の交歓が出来大いに盛り上がった。
(文責 小清水敏昌)
参加者
西谷隆亘 西谷可江 中村純二 中村あや 内田博 山口峯生 三渡忠臣 富澤克禮 松本恒広 松本弘子 荒川一郎 石塚嘉一 宇田俊二 大倉昌身 岡田陽子 岡義雄 鬼村邦治 川村光子 河野悠二 下田俊幸 高橋郁子 田中清介 津田保次郎 徳永泰朗 長澤登 西村智磨子 樋口裕幸 平井一男 平井康介 廣田博 宮川清彦 原山恵津子 副島一義 小清水敏昌(計34名)


■第48回サテライト・サロン町田報告
―― 読図実地講座 高川山 標高975.7m ――
平成27年3月17日(火)
2月25日の47回サテライト・サロン町田を「地図を加工する」に引き続いて、読図山行「高川山」に参加した。ここ高川山は、相模川水系の桂川と笹子川に挟まれた御坂山地の東端に位置する。又、リニヤモーターカーの実験線のトンネルが真下を貫いている。

 北野忠彦(日本山岳会山岳地理クラブ代表)の誘導の基、2万5千分の一地形図を片手に初狩駅を出発。標高差大凡500m、一般的には1時間30分を要する登り上げとなるが、ゆっくり歩くので、2.5ピッチを予定しているとの話があった。地形図・図副に表記されている記号表記の幾つかを確認し、自徳院の脇を通り抜ける。道筋にオオイヌノフグリ、スイセン、ウメなどの花に目を留めながら登山口に歩を進める。(10:22)
高川山への登りには幾つかのコースがあるが、女坂コースを登り上げることになる。女坂とはいえ、短いが急斜面の登りがあり、汗を流す。途中、砕石する機械音が煩く響く、ここには、非常に均質な岩石で、砕石としてすこぶる良質な安山岩の鉱床が存在するとか、現在確認されているだけでも数億トンの砕石採取が可能とか、美しい眺望を持つこの山に変形を来すことの無いようにと願わずにはいられない。男坂合流点(11:20)を経て、頂上(11:43)へ、富士山・三つ峠・九鬼山・道志の山々など近隣の山々が一望できる。360°の眺望を楽しみながら昼食とする。下山は富士急線田野倉駅に向かうコースを取る。山頂直下急傾斜の道が現れたが、健脚揃いの面々は難なく通過、途中、田野倉駅までの間、現場と地形図を照らし合わせの現在位置確認を何度か実施した。暖かな日和であったが、3月の半ば、木々の芽は膨らみつつあるものの色彩を覗かせるまでには至っていない。そんな中、黄色い花を開いていたダンコウバイが印象的であった。又、林床にはスミレの芽立ちが観られ、シュンランの花が密やかに花茎をもたげていた。

下山後、田野倉駅までの途中、尾県郷土資料館に立ち寄るも、外装工事中でシートに覆われており、その特徴ある全景にはお目にかかれなかったが、管理人の話によると、かって、小学校として機能していたとか、覗かせていただいた内部の、梁、柱、床などは黒光りしており、年代を感じさせる趣のあるものであった。
地形図を片手に、山々の尾根、沢等の地形、構築物などを確認しながらの歩きも、己の観察力の善し悪しが計れ、違った楽しみがあることを覚えた。これからも時折、体験した事を楽しみながら歩くようにしたいものである。
( 記録:西村智磨子 )
参加者:16名
宇野良夫、植木淑美、植木信久、北野忠彦、片野スミ子、桐山裕子、小宮真理、高芝一民、高砂寿一、平井泰司、平井安乃、丸山さかえ、森静子、松川信子、中野有倫、西村智磨子


■第47回サテライト・サロン町田報告
―― 地図を加工する ――
平成27年2月25日  北野忠彦(日本山岳会山岳地図クラブ代表)
日本山岳会山岳地図クラブ代表の北野忠彦氏を講師に招き、2万5千分の一地形図の見方を学んだ。
講師から地図を立体的に見えるように地図にカラーペンで加工することを勧められ、各自持参したカラーペンで講師の説明に従って地図に色を付ける。まずは、地形図上、薄いブルーで描かれている川を濃いブルーのペンでなぞってみる。なぞることで川の位置、屈曲の様子が目立つようになり、そこに食い込む尾根が浮き立ってくる。わずか色を付けただけで、これほどまでに地形が浮き出てくるものかと感激する。次に三角点をピンクのペンでマークする。1枚の地形図の中に三角点は思ったほどないことに改めて驚く。地図全体の中でのピークの位置が明確になる。さらに地形図の図の周囲を眺めると1mm程度の細い線があることに気付く。よく見ないと気が付かないほどの細い線だ。これが緯度経度を表すメモリだそうで、両側の線を結ぶ線を定規を使い赤で引いた。この作業には50cmの定規がほしいところ。
 ただ単に購入した地形図を見ていることと比べれば、これだけの作業をすることで見違えるほど地図が見やすくなった。面倒がらず山行へ行く前には是非やってみることを勧めたい。講師は神社や寺の記号を青色や黄色でマークすることも行っているとのことで、地図に目を移しただけで、さっと情報が目に入ってくることが、地図を読むうえで大切なことだと伺う。
 地図は消耗品と考え、2枚準備し、そのうちの1枚はどんどん加工する。そして2枚めは自宅に置いておくということ。また、古い地図を持参した人もいたが、かなりの部分で情報が変わっており、やはり最新の地図を持つことも大切であると認識した。
 その他、地球を輪切りにして地図ができていること、地形図についている番号の意味など難解な部分もあったが興味深く話を聞いた。人差し指と中指を広げてVにしたときの長さは男性では8cm、女性は外側で8cmであること。それが地図上の2キロということも習った。この後、実際のフィールドで地図読みを確認するのが、非常に楽しみになる講習であった。
 ※今回、JAC集会委員会の植木様の紹介でサロンに参加したが、会員の皆様の熱心に学ぶ姿に圧倒されました。まじめに山に取り組む姿勢がとても素晴らしく、よい集まりに参加させていただいたと感謝し、町田を後にしました。
(記録:長島康博)
参加者
北野忠彦、竹中彰、高芝一民、西村智磨子、長島泰博、高砂寿一、平井康司、平井安乃、丸山さかえ、小宮真理、片野スミ子、仲川侑子、植木信久、中野有倫、鎌田正彦、石原康生、原満紀、植木淑美 以上18名


■第46回サテライト・サロン町田報告
―― 藤野・鷹取山(472m) ――
開催日  平成27年2月7日(土)
若き頃岩登りの練習に通った三浦半島の鷹取山(139m)、幾度かプレーしたレイクウッドゴルフクラブそばにある大磯・鷹取山(219m)、丹沢・大山から弘法山へ続く南尾根上にある高取山(556m)、丹沢・仏果山の北にある高取山(705m)と同じ半原越え経ヶ岳の南にある高取山(522m)など、神奈川方面を歩いていると鷹(高)取山と名付けられた山が多くあるのに驚かされる。
昔タカを獲った山だから「鷹取山」との山名考だが、鷹を取るとの字面から目立つ孤峰とか独特の形体の山ではなく、峰々の中の何でもない並な一峰である。今回の藤野・鷹取山にしても高尾山より低く、陣馬山(855m)、生藤山(990m)、扇山(1137m)、高柄山(733m)など倍もある高さの山々に囲まれた広い井戸の中の低山である。  前々日の木曜日は降雪予報がでており、山靴に油をくれながら白銀の峰に想いを馳せていたものの予報は空振りに終わり残念だった。当日は暖かい日差しのなか上野原駅からバスにて山の北面に至り、舗装道路を歩き始めるも日陰は氷結していて滑りやすい。登山入口は雪溜まりになっていて、踏み跡すらなく喜び勇んで踏み出したが登るにつれて雪が薄くなり、ワンピッチで鷹取山山頂に立ってしまった。
頂上は「鷹取山烽火台跡」として戦国時代の狼煙場の跡で、左上には陣馬山が高くそびえていた。山頂から南に下って小渕山(350m)、岩戸山(377m)へと続く長い尾根道を歩く。地図を読むと350m前後のこぶが11もある凹凸の激しい尾根道だが、各コルから左右の部落へ山道が降りていてエスケープルートが確保できる安心な尾根道だ。小渕山手前の陽だまりでランチを食し、木の間越しに見える雪の裏丹沢と山里の景色を眺めながらの低くても楽しい山稜歩きを続ける。中央高速道路の騒音が聞こえてくると最後は藤野神社に詣でて藤野駅に下った。
中央線沿線にあるこの山群は山梨県かと思いきや、町田市隣の相模原市緑区藤野町にあり、鷹取山、小渕山、岩戸山とも「藤野15名山」としている。今回もまた何故「タカをトッタ山」なのか、その答えは見つからなかった。(記録/橋善護)
参加者
鎌田正彦、植木信久、平井康司、平井安乃、笹本 忠、原 満紀、高芝一民、北野忠彦、高砂寿一、丸山さかえ、片野スミ子、小宮真理、植木淑美、橋善護  計14名


■第28回サテライト・サロン吉祥寺報告
 強い風を伴う冷たい雨が降って生憎の日になった1月21日(水)、午後6時30分から開始。今回は、いつもの吉祥寺駅前のコミセンが予約出来なかった為、三鷹駅北口からバスで10分余の武蔵野市総合体育館の3階視聴覚教室に会場を変更した。悪天候に加えて、会場の不案内では参加人数を心配したが、17名の参加があり杞憂であった。 今回は前回11月の続編として「中央アジア旧三汗国(ブハラ汗国、ヒバ汗国、コーカランド汗国)を巡る旅/その2.三汗国の歴史と英露のGreat Game」と題し、演者は吉祥寺在住の田村俊介氏(会員5854)。昨年秋の9日間、田村氏は前回の講演者金子浩氏を含め、数人の多摩支部会員と一緒に旧王国の遺跡を訪れた。今回は歴史を中心にした話であった為であろうか、悪天候にも拘わらず 茨城県牛久から日本山岳会茨城支部の事務局長西川元禧さんをはじめ、松戸、町田、横浜など遠方からの予想外の嬉しい参加があった。
ヒバ汗国は16世紀から興り1920年に王国は廃されホラズム人民共和国となった。この間、チンギス裔の王朝として栄えたがロシアの南下政策により19世紀後半にはロシアの保護国となる。コーカランド汗国は18世紀中葉に興り繁栄を誇っていたが1876年にロシアに占領され、コーカランドの名は残ったが国名は歴史の浮間に消えてしまった。この間、王国が滅び新しい王国が興りとつぎつぎと替わりムガール帝国もこの地で興った。ブハラ汗国は9世紀位から国として繁栄し、何人かの首長が替わった。1868年ブハラ領のサマルカンドがロシアに占領され、ブハラ汗国が無条件降伏しロシアの保護国となった。こうして、永い歴史を誇っていたこれら三汗国は、最終的には1924年(大正13年)ウズベク社会主義共和国に統一されソ連邦の一員となった。いずれもロシアの勢力がこの地方を制圧していった。こうした中、英国はインドの防衛のため、中央アジア付近にスパイを放ち情報を収集しロシアの行動を監視した。例えば、カシュガールに英国外交代表部を設置している。その頃のわが国はと言えば、日清戦争が1894年勃発、大谷光瑞の第一次探検は1902年、日露戦争の勃発が1904年。こうした時代に、中央アジアでは武力を使わない英露の政治的な勢力があり、これを「英露のグレートゲーム」といい歴史的に名高い出来事であるとの解説があった。
 以上、その一部を紹介したが、配布したウズベキスタン一帯のカラーの地図、講演要旨、旧三汗国の首都の地図など膨大且つ綿密な資料を基にした講演で当日の内容は圧巻だった。中央アジアとはユーラシア大陸の中央部あたりをいい、東トルキスタンと西トルキスタンのことであるが丁度真ん中にタクラマカン砂漠やタリム盆地、天山山脈などがありこの一帯は自然の要害であったと云う。しかし、ロシアに攻められこれらの王国は滅んでしまった。旧王国の興亡の歴史に思いを馳せることができた。
田村氏は、砂漠のオアシスの中にあった三つの王国にとって外敵から国を守るための城壁に興味があった由。ブハラやヒバでの城壁の写真や旧汗国時代の城内の詳しい地図(現地語表記)を紹介。城壁の高さは約10m、幅は約6mあったという。前回 豊富な写真を紹介した金子氏の講演の続編だったので、今回の地図等を見ながらの歴史の話は非常に分かり易く臨場感の溢れる講演だった。「中央アジアの歴史」について面白い話が聞かれて大変勉強になった。終了後、皆でバスに乗り三鷹駅に戻り駅前で遠方からの参加者とは別れ、懇親の場に12名が参加し遺跡、アジアの歴史、山岳会活動談議に花が咲いた。(記録:小清水敏昌)
参加者
田村俊介 西川元禧 中島純忠 笹本忠 吉田敬 山口峯生 西谷隆亘 西谷可江 河野悠二 時田昌幸 大橋基光 平井康司 金子浩 岡義雄 宮川清彦 原山恵津子 副島一義 小清水敏昌(計18名)


■第45回サテライト・サロン町田報告
1月5〜6日 新年会「沼津アルプス・葛城山」
1月5日 天気快晴 気温14度。 沼津駅よりタクシー4台に分乗、徳倉山香貫台登山口に向かう。新年山行ということで、標高は低いがアップダウンのある、五山・七峰のうちの三山・五峰を歩く計画である。風もなく、暖かいので上着も脱ぎ、10時33分出発。分岐にザックを置き、徳倉山へ登る。地元では東側から見ると象の形に見えるので「象山」と呼んでいるそうです。山頂に立つと大きな富士山が飛び込んできた。その左奥に南アルプスも見えた。分岐に戻り、のんびり歩いていると白いペンキで「千金岩」と書かれた岩があり、フィックスロープのある急坂を下りきった所が志下坂峠であった。途中、すれ違ったパーティーから「素晴らしい展望がすぐそこですよ」と声をかけていただく。萱の草原で長めの昼食タイム。右側に駿河湾を見ながら馬込峠を通過、志下峠に着く。ここにも標識が立ち、山を左に巻くように登ると「中将 平重衛」の大きな石碑がある。平清盛の五男、義経が最も恐れた男、重衛が幽閉された岩屋の跡だとか。ここから、小鷲頭山への急登だ。ロープもあるが、三点確保で慎重に登る。小鷲頭山頂からは、やや緩やかになり鷲頭山(392m)に着く。桜の季節も登ってみたいナー!!。360度の展望、富士山、南アルプス、駿河湾、天城連山、箱根の山々、素晴らしい。多比峠まで急坂だ。ここからペンキ印が右へ。尾根に出るが狭くウバメガシが両側に茂っている。アオキの実は、まだ赤くなっていなかった。小さく登り返すと多比口峠。右に下ると舗装の林道になり多比の人家が出てくると道路にペンキ印の道しるべが付いていた。バス停で20人のり送迎バスで宿に向かう。
(記:桐山裕子)
富士の見える展望風呂の後、「ここは伊豆、海の真ん前」と言わんばかりの夕食に宴は盛り上がり、折も折、翌日の天気予報の速報が入る。「勇断を以て、明日の登山は中止、観光とします」の幹事の声。なぜか「やったー」や吐息のような「ほぉ」の声。「歩き足りないよー」の手も上がるが、それは若干約1名。次々、披露される差し入れの酒3本に、何とも表現できないリラックスムードが充満。町田サロンの、これからの新年会のあり様が見える。「初日、しっかり歩いたら翌日はのんびりと」? 1月6日 鯛の塩焼きの朝食をゆっくり戴く頃、雨も降り始めて、沼津御用邸へ。高貴な世界に浸った後は、沼津駅前で打ち上げのランチ、2月のサロンでの再会を約して散会した。
(記:植木淑美)
参加者
皆川靱一、仲川侑子、平井康司、平井安乃、藪田益資、高芝一民、石原康生、上田昌子、桐山裕子、片野スミ子、宇野良夫、丸山さかえ、小宮真理、植木信久、植木淑美   以上 15名


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