東京都分境嶺踏査登山・第10回山行


分境嶺

   日時  2012年5月18日(金)〜19日(土)
   行程  5月18日(金)
         八王子駅南口(マイクロバス)7:10→羽黒神社9:40→堂所11:40→12:40七ツ石小屋(昼食)
         13:10→七ツ石山13:40→雲取山山頂15:40→16:20雲取山荘泊
         5月19日(土)
         雲取山荘5:20→芋ノ木ドッケ6:30→長沢山8:10→11:00酉谷山避難小屋(昼食)
         11:40→天目山14:10→一杯水避難小屋15:20→17:00日原
         ※希望者19名東日原バス停(バス)17:22→17:56奥多摩駅
         日原宿泊者12名→17:20ねねんぼう泊
   参加者 参加者 31名(支部会員22名、一般9名)
          (L:リーダー、SL:サブリーダー、カッコ内一般参加者)
     [1班] L副島一義、SL松本好正、長瀬秀史、岡 義雄、宮崎紘一、石井秀典、犬伏知之
         末松徳則、工藤政己、田中武美
     [2班] L大関 保、SL小川武、山本憲一、佐久間マサエ、栃金正一、上村信太郎、武部 実
         松村幸伸、小林慶子、辻 京子、芳賀 馨
     [3班] L浦邉 充、SL小松原勝久、西村智磨子、富澤克禮、近藤節朗、飯島文雄、西谷隆亘
         東 敦子、西谷可江、北原周子
     [写真] 長瀬秀史


 2012年5月18日、天候は多少の大気の乱れはあるものの、翌日も含めて概ね晴れの予報。今回も天候には恵まれた当日となった。2012年度最初の分境嶺踏査山行実施に向け、これまで様々な準備をしてこの日を迎えたが、なにせ山小屋泊で長時間歩行はまったくの初めてである。おまけに当初は多くて20名程度と予想していたところが、31名の多数参加となった。事故・けが・体調不良による歩行困難など、予想される最悪のシナリオを考え、万全の態勢で臨んだこの日だが、不安は付きまとう。今日は小袖の登山口から七ツ石山と雲取山を越えて、雲取山荘で1泊の行程である。
JR八王子駅南口、みずほ銀行前に、集合時間の7時には31名全員がそろって、用意されたマイクロバスに乗り込んだ。入山口である小袖集落の羽黒神社に向かい、途中で奥多摩駅前交番に登山届を提出し、トイレ休憩をはさみ、9:20に到着した。ここで出発式となり、宮崎前日本山岳会副会長から挨拶をいただき、各班(3班体制)に分かれて注意事項・体操ののち、9:40出発となった。


堂所手前で休憩

出発前に全員集合


 最初は杉林のいきなりの急登から始まるが、すぐに登山道に合流。当初の計画では電車・バスを乗り継いで鴨沢の登山口から登る計画だったが、マイクロバスが羽黒神社に乗り入れて1時間程度行程を短縮できることが分かったため、急遽の計画変更とした。堂所には11:40に到着。途中で小雨に遭遇したものの、計画より若干早いペースでみなさん歩いて、おしゃべりも楽しむ余裕があった。木々の新緑が目に眩しい。七ツ石小屋への急登を経て小屋前で昼食後、七ツ石山には13:30に到着した。


七ツ石山山頂にて

七ツ石小屋前広場で昼食


 石尾根の先に雲取山がよく見える。天気は快晴。まさに登山日和の一日となった。ここで記念撮影の後、雲取山山頂をめざして出発。途中の奥多摩小屋で先日もお世話になった雲取山荘の大番頭・片岡さんと再会。相変わらずの軽妙なトークを楽しんだ後、再出発。時間は14:40。これまでの所要時間は約5時間だが、各班とも順調に歩を進めている。小雲取山への分岐点までの長い急登をぜいぜい言いながら、登りきると眼前に雲取山避難小屋が見えてきた。2017mの山頂は、その右隣である。初めて来た方や51年ぶりに訪れた方など様々な思いを抱えて、みなさん15:40、登頂を味わったようである。ここまで、ほぼ予定通りのペースで進んできたが、みなさんお元気で、笑いとおしゃべりの絶えない時間をしばし過ごして記念撮影の後、今宵の宿「雲取山荘」に向かう。


雲取山山頂にて

列を乱さず第2班が行く


 山荘到着は16:20。部屋割りや翌日の注意点などの後、みなさん部屋へと向かった。何せ初めての小屋泊。受付・宿泊費の支払・部屋割り・翌日の弁当手配など、やることは山ほどあった。当初は幹事部屋で懇親会を計画していたが、大部屋が空いていないこともあり、お流れとなってしまった。夕食は18時。平日なので本日の宿泊者は、我々を入れて80名程度であったとのこと。食後はみなさん、各々山小屋ライフを満喫していたようである。21:00に消灯。明日に備えて就寝となった。


雲取山荘前にて

清々しいご来光


 翌日の朝食は特別に4:30にしてもらい、山荘前で全体朝礼・体操の後、31名全員そろって5:20に出発となった。今日は、いよいよ分境嶺踏査山行のクライマックスである芋ノ木ドッケを起点とする長沢背稜の踏破である。大ダワから芋ノ木ドッケへの長い急登が最初の登りとなった。おまけに冷たい北風が吹きつけて、朝の冷気と相まってとにかく寒い。寒さのおかげで足が速くなったのか、予定より30分も早く芋の木ドッケに到着した。ここから天目山までの長い長沢背稜となる。


長沢山にて第2班

芋ノ木ドッケにて第1班


 記念撮影後、苔むした倒木や縞枯れ状態の木々の間を縫って、快適な登山道を踏破する。陽も当たって、さっきまで寒かったのがうそのようである。8:10に長沢山に到着するころには、少し汗ばんできた。今日も最高の登山日和である。50分歩いて10分休むサイクルを繰り返して、新緑の眩しい中を進んで行く。空は真っ青。そんな中、先を行く班長さんから、酉谷山へ向かうのか指示を求めてきたので、巻いて酉谷山避難小屋に向かうよう連絡した。山頂までアップダウンが何回も連続する眺望のない酉谷山へは、31名を連れては全体の時間配分上、カットせざるを得ないだろうと、前週の下見の際に判断していた。そのかわり、長沢背稜の終点の天目山には向かうことにしていた。下山後、伺ったところでは、ぜひ行きたかったとの申し出が各班の班長さんにあったそうだが。


酉谷山避難小屋にて昼食

長沢背稜の尾根を進む第3班


 11:00に酉谷山避難小屋に到着。5〜6名しか泊まれない小さな避難小屋だが、眺望にも恵まれ水もある。ここで昼食としてすこし休むこととした。前泊の雲取山荘で用意した弁当をほおばる人、ラーメンをすする人、周りの眺望に何枚もシャッターを切る人、おしゃべりを楽しむ人など、思い思いの時間を過ごして、いよいよ、この山旅の最終目的地の天目山に向かって、11:40に出発となった。山頂までは、およそ2時間。そこまで行けば一杯水避難小屋もすぐ。あとは日原に向かって下山するだけ。
途中でハナド岩の断崖絶壁からの眺望を楽しみ、ようやく天目山への分岐に出た。長沢背稜の最後の登りを味わいつつ、14:00に山頂に到着。そこには抜群の眺望が広がっていた。聞いたところによると、以前の山頂はまったく眺望がなかったが、ある人物が許可も得ないで山頂周辺の木をみんな伐採してしまい、このような眺望が広がったそうである。記念撮影をして、一杯水避難小屋に向かい小休止の後、15:20日原への下山となった。緩やかな斜面から日原集落への急激な坂道を下り、17:00に全員無事に下山を完了した。今朝、雲取山荘を出発してから、11時間40分。


イワウチワ

天目山にて第3班


 31名全員の安全を確認し、解散式を行う。宮崎前副会長からも無事下山の安堵の声が聞こえたが、とにかく無事に終わったということに尽きる。時間を確認したところ計画より1本早い17:22発のバスに間に合うことが分かり、解散式終了後、ここでの宿泊組12名と分かれ、19名がバス停に向かい、2日間にわたる長い分境嶺踏査山行が終了した。皆さんのご協力がなければ31名もの大部隊を率いて、無事に下山することはできなかったことと思う。心から感謝申し上げたい。
なお、宿泊先である雲取山荘の主、新井信太郎日本山岳会員から宿泊料金の優遇と多大なる差し入れを、また日原の宿泊先「ねねんぼう」には東京多摩支部の金邦夫会員から貴重なる「下山祝」をいただいたことを特筆させていただく。(文・写真/長瀬秀史)


上の写真は拡大してご覧になれます。写真の上をクリック。