東京都分境嶺踏査登山・第5回山行


分境嶺

   日時  2011年3月23日(日)
   行程  JR高尾駅(バス)7:50→陣場高原下バス停8:50→和田峠10:25→醍醐丸11:35
          →生藤山13:40→三国山14:35→石楯尾神社15:50→上野原駅16:10(解散)
   参加者 東京多摩支部会員19名 一般参加者14名(最高齢79才)
          (※班リーダー。カッコ内は一般参加者)
     [1班] ※島田成正、鈴木謙治
           (末松徳則、小笠原武雄)
     [2班] ※松本好正、栃金正一、上村信太郎、植木淑美
           (東敦子、荒井寿一、鬼村邦治)
     [3班] ※大関保、小松原勝久、西村智磨子、山本憲一
           (荒井亨祐、犬伏知之、平井功男)
     [4班] ※植木信久、富澤克禮、川越尚子
           (田中武美、三原佐知子、島津和子、岩井瑞枝)
     [5班] ※小川武、川合周、三渡忠臣、近藤節朗
           (大澤正男、渡辺久雄)
     [記録] 澤登均
     [誘導] 長瀬秀史
                      

 山行を2日後に控えた3月11日金曜日、午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生し、津波や火災などで戦後最大の自然災害が宮城県はじめ太平洋側の東北地方および首都圏を襲い、多数の犠牲者が出るという大惨事が起こった。東京では震度6を記録するなど交通機関は軒並みストップし、帰宅難民が多数発生し大パニックとなった。こんな状況下で山行を実行するのはどうかと思い悩んでみたものの、直前で中止するのはかえって混乱を招くものと判断して、実施することとし当日を迎えた。やはり予想通り、一般・会員参加者とも、欠席の連絡が頻繁に入り結局会員参加19名、一般参加14名の総勢33名での開催となった。



 陣馬高原下バス停での出発式では最初に弔意を示す黙祷を行い、犠牲となられた方々に対し冥福を祈り、山行中の注意点などを確認しグループごとに出発した。今回のコースは和田峠までの当初計画を変更し、尾根道のコース取りとした。若干急登であることと、車道歩きより遠回りとなったため、和田峠には20〜30分遅れの到着となった。



 和田峠から醍醐丸に向かう登山道に入った辺りから、積雪が現れ始めその量が高度を上げていくに従い次第に増えていった。天気は快晴であまり風もないコンディションだったが、雪に足を取られることが多く、特に下りでは大幅にペースが落ちて周囲の展望を楽しむ余裕がなくなってきた。先行したグループは順調に進んでいたようだが、15:15石楯尾神社発のバスに乗車するには、分岐となる佐野川峠を遅くとも14:00には下る必要がある。途中の連行峰に到着したのが12:30、とても間に合わない時間となり、あせった挙句の事故を防止することから、バスをあきらめる決断をして増発をお願いしているバス会社にその旨の連絡を入れた。調べたところ次のバスが18:00であることが分かり、先行グループが到着を待つ生藤山目指して慎重に足を進めた。



 到着して全員で記念撮影してから、早々の下山となったが、石楯尾神社到着が急いでも15:30。いくらなんでも18時まで待つことは現実的ではないため、地元のタクシーの手配をしたところ、料金は迎車代込みで1台3200円。みなさんには交通費の余分のご負担をお願いすることになってしまった。一番早いグループで15:35到着、最後のグループは15:50の到着となった。グループごとに8台のタクシーに分乗して上野原駅に向かい、全員揃ったのが16:10。タクシー利用となり、計画とは1時間遅れの集合ではあったものの、全員事故も無く、駅前で解散式を行い16:39発の電車に乗り込んだ。



 高尾駅に到着してから、恒例の反省会を一部の有志のみなさんと開きました。今回は本当の意味での反省会となりました。 途中で、最初に中止を決断していればとの想いが、胸を駆け巡る山行となってしまいましたが、みなさんのご協力のおかげで、全員無事に第五回東京都分境嶺踏査登山を終了することができました。お手伝いをいただいた支部会員のみなさん、本当にありがとうございました。
(文:長瀬秀史  写真:澤登均  GPS軌跡図:小松原勝久)

上の写真は拡大写真がご覧になれます。こちらから