八海山 山菜山行


山菜山行

   日時  2010年5月8・9日(土・日)
   集合  JR八王子駅南口みずほ銀行前 (貸切バス利用)
   コース 八海山ロープウェイ〜下山しながら山菜採集〜湯沢山荘
   宿泊  湯沢山荘
   参加者 副島一義、荒木正弘、久々湊道夫、小野正男、小川武、酒井省二、
          坂本正智、寺田政史、寺田美代子、長谷川敦子、金中利和、神崎忠男
          菅谷光代、西井和代、今田明子  講師:森山勇 
                      

 5月8日(土) 八王子駅南口を、中央線の事故で少々遅れ〔8:13〕に14人を乗せて、マイクロバスで出発。圏央道、関越道で湯沢駅前〔11:24〕に到着。八海山地元ガイド(山菜採りの名人)森山氏(神崎氏の学友)を加え、八海神社の神務所で山牛蒡繋ぎ蕎麦を昼食に頂きました。 八海山(大日岳:1740m 十合目)のロープ・ウエイ山麓駅(376m)から、スキー場上部で尾根筋にある山頂駅(1147m)まで6分間乗駕籠。残雪の中、展望台へ上り、森山氏から周囲の山座同定を受け、記念写真を撮影。
〔13:30〕頃から、山菜を入れるビニール袋を手に手に持って、山菜を求めて雪の急斜面を滑り降りる森山氏に続いて直滑降コースを駆(滑)るオッサン・グループ、初心者コースを大廻りしながら、草花と山菜を求めノンビリと移動する五人官女グループに分かれました。
 雪の斜面をドンドン降りてくると、土が現れ始め、「蕗の薹」が目に付くようになりました。早く獲物を採りたいと焦りましたが、ゴンドラから眺めた枯れ草の斜面は、葦が雪で圧され下方向へ流れる様に敷き詰められて、ツルツル滑りなかなか難しい足取りになり”足だけ”は疲れました。  でも、次から次ぎへと山菜(コゴミ、ゼンマイ、タラノメ、ウド、ワラビ、フキ、等々)が現れ、簡単に採れるので、余りにも面白くて、山麓駅での集合時刻に1時間程遅れ〔16:30〕頃、湯沢山荘へ向けて帰路に着きました。



 宴会へ向けて地元の「スーパー」で買物をする班、山荘で獲物を選り分け下準備をする班、バーベキュー・コーナーで炭火を起こして準備する班に分かれました。  湯沢山荘(リゾート・マンション16階)・1617号室に荷物を置き、神崎氏も含めて16名全員が揃い挨拶をし、手の空いている人は地下1階の温泉の大浴場へ鍵を持って入室し、汗を流しました。  駐車場横の屋外バーベキュー・コーナーで全員が缶ビール(ジンジャー・エールも)を開け、宴会が始まりました(これ以前に予行練習している人も数人いましたが・・・)。 湯掻いたタップリの山菜を森山氏特製のタレで食べ始めましたが、指が中々とまりません。でも、マダマダたくさんの山菜がお皿にあります。そろそろ天婦羅の準備(森山氏特製の天・衣は焼酎を加えて溶く)も整い、目の前でドンドン揚げて、揚がる側から直ぐに口の中へ運びましたが、油っぽく無くて、お酒と共になかなか止まりません。最後まで油は濁らないで、上手に調理されました。 隣の炭焼きコーナーでは、焼肉、焼きソバ、それと魚沼産こしひかりのお握り等々も、とても美味しく大量でバーべキュー・コーナーの終了時刻〔21:00〕迄には食べきれません。  借りた鉄板等を灰で洗い、後始末をして、湯沢山荘16階へ戻り、沢山の残り物で2次会を開き、遅くまで食べ且つ飲みました。 男性の寝室は続きの大広間の布団を敷き、女性は別の部屋に移動しました。数人の男性はリビングのソファーで寝て頂きました。



5月9日(日)早く目覚めた方は温泉に入ったり、ベランダに出て周囲の山々を眺めたり。早朝のヒンヤリした美味しい空気を腹一杯吸い込み、昨夜の山菜料理の腹ごなしをし、朝食を待ちました。 地元魚沼産のご飯と沢山残っている山菜、等で又々美味しく頂きました。神崎氏がベランダで三座同定をし、山菜を前に置き全員で記念写真を撮りました。沢山残っている山菜を各人がビニール袋に詰め込み、楽しい思い出と共に「お土産」にしザックへ収めました。お開きは恒例の襖を外して布団を仕舞い、掃除機を掛け、鍋釜皿茶碗を洗い、電源ブレーカを落とし(冷蔵庫は入れたまま)、4階の裏駐車場から帰宅の途〔9:30〕に着きました。



ユックリ起き休んだことで遅くなり、昨日の雪の急斜面滑りで脚も疲れていましたが、湯沢駅で別れました森山氏の強い御推奨で「味噌なめたか」「土踏んだか」の地に向かいました。 「最上山関興寺」入場無料。応永十七年(1410)関山村に禅道場を開き、関が原合戦の後、上杉景勝と共に寺も米沢へ移る。江戸時代、現在の地に再興、元文年間(1751)関興寺と改め、現在でも臨済宗円覚寺派の禅寺である。天正六年(1578)上杉謙信の急死で、景勝、景虎の二子で家督争いが起り、その兵火で寺は焼失、納められていた「大般若経六百巻」を味噌桶の中に埋めて難を逃れた。それ以来、御利益のある「味噌なめたか」の言葉が伝えられていますと書かれた駐車場横の案内板を読み、山門を入る。お堂に上がり、本堂の中で女性(髪のある尼さん?)から解説(内陣本尊釈迦牟尼佛、毒狼窟の額、十万石の駕籠、味噌捏ね鉢、桶、等々)を受けました。勿論、味噌は売っていました。




「金城山雲洞庵」入場料\300。NHK=TVでご存知、十三世通天存達和尚の兄弟政景が早く亡くなり一子景勝と家来で御付の直江兼続を引取り、教育した寺である。 千数百年前、藤原不比等の妻・先批(尼)が尼僧院を建て、以来女人成仏の尼寺、室町時代に禅宗の寺に開創された。 赤門から本堂までの参道には、法華経が一字一石ずつ刻まれ埋められ、古来、「土踏んだか」と云われ、参道を踏みしめると御利益に預かるという。我々も御利益に預かろうと、参道を踏みしめ、本堂に御参り、内を見学しました。宝物殿で古文書を拝見しましたが、全く読めませんでした。しかし、和紙に墨が黒々と残っており「凄い」と思いました。説明用のテープコーダーが故障していて残念でした。駐車場前で記念撮影をしました。




 湯沢駅前「中野屋」で名物の「へぎ蕎麦」「天婦羅」と、未だ飲み足りない方々はお酒を楽しみました。湯沢IC〔13:30〕通過、関越道では事故が連続して3箇所ありましたが、圏央道、八王子駅南口〔16:11〕到着、手に山菜のお土産を持って、笑顔で解散、帰路に着きました。
 幹事の今田明子氏ご苦労様でした。感謝申し上げます。  (記録:副島、写真:金中)
上の写真は拡大写真がご覧になれます。こちらから