平成24年年始晩餐会  ――設立3年目を迎え、さらなる発展を期す――



 ザ・クレストホテル立川の富士の間に大きな丸いテーブルが10卓並んだ。それぞれに、おなじみの多摩の山名がつけられている。雲取山、高尾山、三頭山、陣馬山・・・・・。年始晩餐会は、山本事務局長の司会で午後6時から始まった。

フォトコンテスト会場

眉目麗しき受付嬢

――支部長あいさつ/支部事業への積極参加を望む。――
黙祷のあと、竹中支部長が、この一年間の活動を振り返りながら、「支部の山行、会合等に積極的に参加してほしい」と呼びかけた。次いで神崎日本山岳協会(JMA)会長が来賓として祝辞を述べ「東京多摩支部が先鋒になって行動してもらいたい」と檄を飛した。「実家に帰ってきた。身内の前で言いたいことを言わせてほしい」と次のように語った。
「日本の登山界の歴史は日本山岳会(JAC)の歴史といってもおかしくない。50年前、日本山岳会は日本山岳協会を創った。5代目まで日本山岳会から会長を務め、理事も半数はJAC会員から選任していた。いつの間にか、放りっぱなしとなってしまった。日本山岳会に望むことは、社会や登山界から信頼、信用され、期待される組織だ。若い人を含む多くの登山者に親しまれる環境づくりを目指し登山界の王道を歩いてもらいたい。登山界のリーダーとして明日の登山の道を開いてもらいたい。意識を変えなければ組織は変わらない。役員の責任感や使命感、会員としての義務、モラルやマナーをもって公益事業、社会貢献のなかに登山を育てる。その先鋒を東京多摩支部が務めようではないか」

神崎日本山岳協会会長

竹中支部長

 続いて、吉永日本山岳会副会長が本部来賓として挨拶した。千葉支部会員でもある。「ことし10月20〜21日に千葉で全国支部懇談会を開催する。九十九里に300人収容の宿泊施設を押さえた。東京多摩支部からは100人は来てほしい」と要請。本部役員としては、公益社団法人への移行状況を次のように説明した。
「いま、内閣府の公益認定等委員会の判断を受けている。順調にいけば、2月中旬には総理大臣に報告される見通しだ。3月20日ぐらいに公益認定されるだろう。その後2週間以内に登記する必要があり、準備を進める。4月1日は日曜日だが、登記所は臨時に登記を受け付ける。日本山岳会は臨時理事会を開き所定の手続きを取る。これによって支部は内部組織となり、名称も公益社団法人日本山岳会○○支部となる。本部と支部が一体化して事業を進める。会計など面倒になるが、協力していただきたい」

新入会員紹介

吉永日本山岳会副会長

――出席した8人の新入会員が壇上に――
新入会員の紹介があった。この1年間に22人が入会し、出席した8人が壇上に上がった。ひとりひとり自己PRや抱負などを力強く語った。
<出席新入会員>茂出木協子、新井壽一、原田嘉晏、川村光子、西谷可江、鎌田正彦、西村政晃、宇田俊二 乾杯は、出席者のなかの最長老である田邊壽会員の音頭で行った。「一生懸命、山に登ろう」と力強くグラスをかかげた。75人がこれに応え、和やかな懇談にはいった。

フォトコンテスト最優秀賞は川村光子会員

乾杯の発声は田邊壽会員

 初めての試みとして、フォトコンテストを行った。54点の応募があり、ロビーに展示された。出席者に投票券が配布され、最優秀賞をプロジェクターで紹介した。選ばれたのは、川村光子会員の「シモバシラ」。12月17日に陣馬山で撮影したという。見事なシモバシラだった。

みんな大声で合唱

締めは神崎さんの指揮で合唱

 アンケートも実施した。初めてのこととあって残念ながら回答が10通と少なかったが、昨年は270日も山に登った会員がいた。70日、63日も。多くの会員は10〜20日くらい。東京多摩支部で取り上げたいという山行に多彩な回答があった。 大岳山、川乗山、富士外輪山、近県の百名山、奥多摩の沢歩き、山梨・坪山、八ヶ岳、鹿島槍、僧ヶ岳、近隣国の山―など。

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