2014年三支部合同懇親山行


三支部懇親山行

宿舎の前で


   日時   2014年6月7日〜8日(土・日)
   宿泊   「富士緑の休暇村」  山梨県南都留郡鳴沢村
   コース  Aコース:吉田口登山道・馬返し〜5合目佐藤小屋〜富士スバルライン5合目駐車場
          Bコース:野鳥の森公園〜青木ヶ原樹海〜竜宮洞穴〜鳴沢氷穴〜富士緑の休暇村
   参加者  東京多摩支部/竹中彰、西村智磨子、富澤克禮、飯島文夫、北原周子、副島一義、
           山本憲一  計7名
          埼玉支部/大久保春美、清登緑郎、松本敏夫、富樫信樹、奥田通孝、堀川清  計6名
          山梨支部/内藤順造、小宮山稔、古屋寿隆、北原孝浩、荻野有基子、丹澤良治、
           大澤純二、山本稔、深沢健三、保坂照行、鈴木勝彦、井口功、末木佐登子、遠藤靖彦、
           清水日出勇、所一路、遠山若枝  計17名  合計30名


―― 今年も荒天で始まった三支部合同懇親山行 ――
6月5日の梅雨入りから関東地方は記録的な大雨が続いた。三支部合同懇親山行の初日の7日も断続的に激しい大雨が続き、5日の降り始めからの総雨量が平年の6月1ヶ月分を上回る大雨となった。八王子市では一部で避難勧告が出る騒ぎとなり交通機関にも影響が出た。東京多摩支部参加者7名の内、6名はJR、富士急を利用して懇親会場の山梨県南都留郡鳴沢村にある「富士緑の休暇村」に予定通りの時間に到着したが、1名が車で向かった為、中央道の一部通行止めや、20号線の通行止めなどで交流会の集合時間に間に合わない結果となった。もっと悲惨であったのは、埼玉支部参加者6名であった。大宮集合で1台の車両に乗車して河口湖に向かったが、圏央道、中央道、20号線の通行止めに遭い、18時から始まった懇親会の終了間際にやっと到着する4時間遅れのハプニングで始まった。

宴会会場に集まったお酒の数々

竹中支部長の挨拶


 初日のイベントとして交流会・講演会があり、各支部代表者の挨拶が予定されていたが、埼玉支部未到着のため、主管の山梨支部深沢健三支部長と竹中彰東京多摩支部長の挨拶があった。この大雨を受けて、雪の雲取山から始まって、台風の大雨の影響を受けて登山中止となった大岳山と、三支部合同懇親山行がいかに荒天続きかの話題が両支部長から話され、明日の天気がどうなるか心配の声が上がった。
続いて、山梨日日新聞企画報道グループ前島文彦氏による「蒼き千年の森」講演があった。
山梨日日新聞で富士山世界遺産登録記念として100回シリーズで掲載された特集記事をコンパクトにまとめた内容で、青木ヶ原樹海の誕生、植生、自然利用、イメージ、価値などが語られた。
富士山の北鹿に広がる原生的な森である「青木ヶ原樹海」は、鳴沢村と富士河口湖町(元、上九一色村)にあり、面積は30平方キロメートルである。山手線内が65平方キロメートルであるからそれほど広大なものではないが、日本にしかないツガや天然のヒノキが9割で他では見られない植物群落として国の天然記念物に指定されている。
青木ヶ原樹海は自殺の名所と知られているが、そのイメージはウィキペディア英語版でも「世界で一番の自殺の名所」と紹介されている。

なぜ自殺の名所となったのか?
それは既婚女性と青年検事の恋愛を描いた松本清張の小説「波の塔」(1960年刊)の結末で、ヒロインが青木ヶ原樹海の中に消えていくシーンが描かれていることから始まったという。この「波の塔」が映画化されると、何人もの女性が単行本の「波の塔」を手にして青木ヶ原樹海で自らの命を絶ったという。今では行政が「自殺防止策」として、樹海での自殺者遺体数の公表中止、樹海と自殺を結びつける映画や番組に対して、樹海の利用を許可しないなどの手を打っているとのこと。

そもそも青木ヶ原樹海はいつできたのか。
記録によると、富士山北西山麓で大規模な噴火活動「貞観噴火」(864〜866年)が発生した。流れ出た膨大な量の溶岩は森林地帯を焼き尽くし、北麓にあった広大な湖「せの海」に達し、大半を埋没させた。その溶岩量は山手線内に高さ20mの溶岩が堆積した計算になるという。この溶岩地帯が1200年の時を経て、ツガ、ヒノキを中心とした針葉樹とミズナラなどの広葉樹の混合林である原始林「青木ヶ原樹海」を形成した。また、溶岩流がせの海を埋め尽くしたが、一部残ったのが現在の西湖と精進湖である。それゆえ、西湖と精進湖の水面高さはいつも一緒で、地下で繋がっているのではないかといわれている。

自殺の名所といわれる青木ヶ原樹海も、もともとは人が出入りする裏山であった。万年氷のある風穴は明治の終わりから昭和の初めにかけて、養蚕のカイコの卵を保存する貯蔵基地であった。ヒノキを伐採して「糸繰枠」に加工したり、炭焼きをしたりといった人の出入りする場所として利用されてきた。今でも、土石流災害をきっかけに住民が集団移動した民宿村などもあったりする。


埼玉支部がやっと到着、お疲れ様でした

埼玉支部を待ちつつ宴会が始まった



 講演を聞いているうちに、東京多摩支部会員の大半が青木ヶ原樹海に興味をそそられ、第2日目の山行を青木ヶ原樹海散策に変更して実際の樹海の様子を探索してみようということになりコース変更を願い出ることになった。

18時から懇親会が始まった。埼玉支部はまだ到着していないが、山梨支部古屋事務局長の司会進行で進められた。外は大雨で、明日の山行が心配される中、いったい誰が雨男なのだろうという話で持切りとなったところ古屋事務局長から笑劇的!?な発言が飛び出した。
「雨男は私かも知れない。去年180日入山したが、晴れたのは3日しか無かった」とのこと。2時間の懇親会が終わるころに埼玉支部6名が到着。長時間の移動でお疲れの様子であったが、これでやっと全員集合となり、和気藹々とした懇親会となった。

群がるギンリョウソウ

富士山がバッチリ



―― 台風一過のような好天に大喜び ――
翌朝、窓を開けると真っ青な空が広がり、目の前に富士山が大きく聳えていた。古屋事務局長はしてやったりの顔で、今日はバッチリですよと胸を張った。
2日目の山行はAコース:吉田口登山道・馬返しから佐藤小屋を通って富士スバルライン5合目駐車場へと向かうコースとBコース:青木ヶ原樹海散策コースの2つに分かれて行われた。多摩支部7人の内、1名は不参加、5名がBコース、1名がAコースに参加した。
Bコースは12名が参加。深沢支部長の車で野鳥の森公園まで送ってもらい、青木ヶ原樹海に入った。明るい樹林帯が続き、アセビがいたるところに生えている。昔は冷蔵庫の代用として利用していたという「英こおりあな」を見て、静かな広場に出たところで、全員で眼を閉じ、森の声に耳を傾ける。静かな中に、ちいさな音が聞こえる。自然の息吹である。


アスパラガスの様なキイロスッポンタケ

眼を瞑って森の音に集中する


 雨乞いの神として信じられていた天然記念物の竜宮洞穴へ到着。ヒンヤリとした洞穴の底には「せの海神社」の小さな祠が祀ってある。周りは凍って滑りやすい。鳴沢氷穴に向かう途中にアスパラガスのようなキノコを発見した。山梨支部のキノコ博士は臭いから触らないほうが良いといったが、好奇心旺盛な多摩支部の女性は帽子のような部分を触って匂いを嗅いでいた。とっても臭いとのこと。後で調べたところキイロスッポンタケだそうだ。
鳴沢氷穴は観光スポットなので、若者達がいっぱい集まっていた。半袖、ミニスカートといった軽装で氷穴に入っていく。寒くないのかと心配する。氷穴内部は外から持ち込んだ氷がブロック状に積まれていて興味を削がれるが、非常に狭く、寒い。江戸時代にはここの氷が将軍家へ献上されたという。午後1時過ぎに宿舎の富士緑の休暇村に到着。Aコースの帰舎を待つ間に空の雲行きが怪しくなってきた。富士山も雲に隠れ、雷の音がゴロゴロと聞こえてきた。なんとか皆が下山するまで、持ってほしいものだと願いつつ待つ間に全員帰舎。
14時過ぎに解散式を行い、それぞれが帰途についた。
第1回目の雲取山は初日が霙から雪で、次の日は快晴であった。第2回目の御嶽宿坊に泊まって大岳山登山は初日も午後から雨となり、翌日は大雨が予想され登山中止となった。第3回目の今回、初日は雨であったが、翌日は晴れとなり一部雨に見舞われたものの山行を無事終えることができた。次は元に戻って埼玉支部主管開催となるが、今度こそは天候に恵まれることを祈らざるを得ない。
(記録/山本憲一)

○青木ヶ原樹海内に見られた植物
多種多様なコケ類、シダ類、日本固有のツガ、天然ヒノキ
落葉広葉高木……ミズナラ、ブナ、シデ、カエデ類、ホウノキ他
アセビ、ツクバナ、ツクバネウツギ、コゴメウツギ、ハンショウヅル他
林床……ギンリョウソウ、フタリシズカ、マイズルソウ、キイロスッポンタケ他
○樹海以外で見られた植物
ヤマツツジ、ヤマボウシ、ミズキ、オオバアサガラ、ヤブウツギ等
(北原周子調べ)


上の写真は拡大してご覧になれます。写真上をクリック。