講演会 羽根田治氏「山岳遭難は誰にも起きる」   (安全委員会主催)


講演会

 
 講師の羽根田治氏は1961年生まれのフリーライター。山岳遭難や登山技術に関する記事を、山岳雑誌や書籍などで発表する一方、沖縄、自然、人物などをテーマに執筆活動を続けている。主な著書に『ドキュメント道迷い遭難』『ドキュメント単独行遭難』『ドキュメント生還 山岳遭難からの救出』『空飛ぶ山岳救助隊』『山でバテないテクニック』『ロープワーク・ハンドブック』などがあり、遭難ルポの第一人者として知られる。

― ヘルメット着用、山岳保険加入の重要性 ―
 講演会は、竹中支部長の挨拶から始まり、第一部と第二部に分かれた。第一部では、長野県のデータに基づき山岳遭難の実態について語られた。
 遭難者に話を聞くと「まさか自分が遭難するとは思ってもみなかった」とほとんどの人が言うが、遭難は他人事ではない。山岳遭難は誰にでも起きるということを肝に銘じてほしい。長野県を訪れる登山者の数は増加傾向にあり、平成25年中の登山者は前年比で5%増加。同じく山岳遭難事故も増加傾向にあり、前年比で20%増加。平成25年は遭難発生件数、遭難者数ともに過去最多となっている。遭難原因は、全国では道迷いが多いが(約52%)、長野県では滑落・転倒が多い(58.3%)。また、遭難者の約半数近くが60歳以上の高齢登山者で(44.2%)、女性登山者より男性登山者が圧倒的に多い(74.1%)。
 警察に遭難事故を通報すると、遭難者本人の意思に基づく救助要請であるかどうか確認される。民間救助隊員が出動する場合は救助費用を請求すること、報道機関に発表することが伝えられ、携帯電話は警察からの待ち受け専用にするよう指示される。
 携帯電話を利用しての救助要請は6〜7割を占める。携帯電話についているGPS機能を有効に活用してほしい。警察のシステムによって自動的に場所が特定できる場合もあるし、アプリによって自分の居場所を特定し、警察に伝えることもできる。スマートフォンは多機能で、登山中にいろいろな情報をとれる点では有用だが、電池を消耗しやすく悪天候時に操作しにくいというデメリットもある。携帯電話の予備バッテリーは必ず携行するようにしてほしい。体力・技術・ルート不安からの救助要請や、遭難しそうな人を見過ごした後での通報はやめてほしい。
転倒・滑落事故での34.9%が頭部の負傷ということもあり、長野県ではヘルメットの着用を奨励している。奥穂高岳〜西穂高稜線を縦走中に150m下に滑落したが、ヘルメットを着用していたおかげで致命傷を負わずに済んだ事例がある。
 夏山の遭難事例をいくつか紹介する。単独登山者が岳沢小屋から天狗沢を通って天狗のコルへ登るつもりが道に迷って行動不能となった事例。途中でおかしいと思いながらも引き返すことができなかったことによる典型的な道迷いのパターンである。
 奥穂高岳から西穂高岳へ縦走中、最後の難所で些細なルートミスから浮石を掴み、バランスを崩して滑落し、死亡した事例。遭難者はこの登山に向けて入念な下調べ、事前トレーニングを積んでいたが、急峻な穂高岳の岩稜では、このように一瞬のミスが命取りになってしまう。下山中の登山者が登山道脇の崖下から助けを求める声に気がつき救助要請、涸沢に常駐していた県警救助隊員が駆けつけ病院へ搬送したが、懸命の措置もむなしく死亡した事例。遭難者は単独行だったが、もし同行者がいれば、速やかな通報により一命を取り留めたかもしれない。
 脳及び心疾患が原因の遭難事故が多発している。そのほとんどが60歳以上の高齢者。山岳地帯における脳、心疾患の発症は致命的である。登山中は脳及び心疾患の発症リスクが通常よりも高くなる。適切な水分摂取、年齢・体力に見合ったコース設定が必要である。
 遭難したらいったいいくらかかるのか? 平成25年、北アルプス南部地区の平均は118,205円。民間ヘリや多数の民間救助隊員が出動した場合はさらに高額になる場合がある。山岳保険は登山者の義務として必ず加入してほしい。
 長野県では遭難防止対策の一環として「岳(がく)山登り10訓」を定めている。内容はごく基本的なことだが、山登りを長く続けていると忘れがちになるので、もう一度よく読んで初心を思い出してほしい。
 第一部の最後には、2006年10月8日奥穂高岳吊尾根で起きた遭難事故の映像が放映され、救助活動のリアルな様子を見ることができた。

― これまでの大きな遭難を振り返る ―
 第二部は、これまでの取材に当たってとくに印象に残った事例の紹介から始まった。
 2012年5月4日の白馬岳。63歳から78歳の6人パーティ全員が低体温症で死亡した。栂池ヒュッテから白馬岳へ向かう途中、低気圧の通過で天候が急変し、猛吹雪に見舞われた結果の遭難だった。
 このとき、涸沢岳でも遭難が発生していた。56歳から71歳の男女6人パーティのうち1人が、悪天候による低体温症で動きが取れなくなった。穂高岳山荘に救助要請に向かった3人も行動できなくなった。救助隊員と山小屋のスタッフが夜の11時頃までに6人を救助したが1人が死亡した。
 2007年12月31日、槍平小屋で幕営していた2パーティのテントが雪崩に埋まり4人が死亡した。例年なら、ここまで雪崩が押し寄せることはないが、自然は分からない。
 2009年7月16日のトムラウシでは18人ツアー登山の悲惨な遭難が起きた。男性1人、女性7人が悪天候による低体温症で死亡。この事例では3つの判断ミスがあったと思う。事故当日、天候の回復を見込んで(期待して)出発してしまったこと。主稜線に出た当たりで引き返す決断ができなかったこと。北沼渡渉点で対応策を講じるのにあまりに時間がかかったこと。天候・行程・人数を考慮し、素早い決断をするべきだった。
 2010年8月14日の両神山では30歳の男性が下山中に登山道から滑落して左足を開放骨折し、14日目に発見・救助された。
 2006年11月4日の天祖山では、68歳の女性が重傷、55歳女性が死亡した。この事故はほぼ同じ時刻、同じ場所で起きたことが印象的だった。天祖山から下山していた5人パーティの1人が足をもつらせて転落して重傷。そのすぐあとに現場を通りかかったパーティのメンバーが同じ場所で転落して死亡。
 2014年5月4日には64歳男性が飛竜山から雲取山を目指したが道に迷い、ビバークを重ねながら5月12日に自力下山した。生還できた要因は「何日かかってもかまわないから無事に下山できればいい」「ジイさんだからぼちぼちと」などと考えながら行動していたこと。また判断が難しい場面ではとりあえず休んで周囲の地形を観察し、考えた。場合によってはあしたになってから考えようとビバークしたこともある。行動中は判断の連続でどこに足を置けばいいのか、どれくらいまで体重がかけられるか、この枝は大丈夫か、一歩一歩が命懸けで、ふだんではありえないほど集中して、あれほど頭を使ったことはなかったと述懐していた。

― 「ひと手間」を惜しむな。知識・技術を再チェック ―
 これら遭難事例を振り返ると、山には「地形的、気象的、人的リスク」が潜んでいることが分かる。地形的リスクは、稜線では転滑落・転倒、樹林帯では道迷い・転滑落・転倒、ガレ場・岩場では転滑落・転倒・落石。気象的リスクなら、雨・雪・低温・高温・ガス・風。人的リスクは、初心者、高齢者では体力・技術・認識不足。ある程度の経験者は過信・油断。中高年層の疾病・持病、誰にでも可能性のある人為的落石・人為的雪崩。
 こうしたことから、遭難事故は対岸の火事とはいえない。599mの高尾山でも遭難は起きている。登山歴数十年のベテランも遭難死している。ミスはしないと思っていてもヒューマンエラーを100%防ぐことはできない。明日は我が身、遭難事故は誰にでも起こり得る。
 そこで何が大切か。「あとでやろう」「面倒くさい」が命取りとなる。アイスバーンが出てきたら念のためにアイゼンを着ける。厚着かなと思ったらジャケットを脱ぐ、靴紐が緩んだら締め直す、といった「ひと手間を惜しまない」こと。
 そして、ここで落ち葉で足を滑らせたら、上の人が落石を墜としたら、ガスに巻かれて視界が利かなくなったら、というように常に想像力を働かせて行動することも大切。
 登山計画書提出の有無が生死を分けることがある。生存率の低下、家族への精神的・経済的負担の増大を防ぐことになる。県警のウェブサイト、メール、山と自然ネットワークの「コンパス」登山届けなどの利用をお勧めする。
 遭難を防ぐためには「連れられ登山」に慣れないこと。登山は自発的な行為であり、自分で考え、自分で行動するもの。それが自立した登山者の条件。次の条件に当てはまる人は要注意だ。
 ●計画の立案、交通機関や宿の手配、記録整理を他人任せ●登る山・コースの下調べをしない●山行前に天気予報を見ない●地図とコンパスを持って行くが使い方を知らない。山で地図を見ない●リーダーが行動不能になったら目的地に着けない。
 これらは、登山の楽しみを半減させるだけでなく、決断を迫られる場面で対応できず、遭難してしまう。
 最後に、知識・技術の再チェックをしたい。ある程度山登りを続けていると技術が確立されてくる。それが本当にベストなのかを考えたい。時代遅れの知識や技術にしばられていないか、それは本当に正しい技術か、合理的で安全が技術があるのではないか。他団体との交流、ガイド講習など、自分の知識や技術を更新することが、遭難を防ぐことにつながるのではないか。
 最後に、参加者からいくつもの質疑が寄せられ、予定時間をオーバーして終了した。
参加者120名(うち会員34名) (文/第一部:八木佳苗 第二部:小山義雄 写真/澤登 均)