講演会 渡辺玉枝の「高峰登山体験」


講演会

 
―― 仲間に恵まれて登った山、山、山・・・  マッキンリーからエベレストへ ――
 講師は、1938年山梨県生まれ。日本山岳会会員。高峰登山海外22回の遠征に全て登頂。8000m峰5座・6回登頂。63歳でエベレスト登頂、女性世界最高齢記録達成。73歳で自分の記録を更新、ギネスブック認証。植村直己冒険賞、日本スポーツグランプリ賞、シチズン・オブ・ザ・イヤー賞を受賞。日本山岳会会長特別表彰など多数の表彰を受けている。
初めての山行は28歳のとき、勤務先の神奈川県庁山岳会の上高地バスハイキングであった。自分の実力もコースも知らずに申し込んだ最初の山行であったが、県庁山岳会きってのベテランリーダーの、ゆっくりペースについて歩くと、疲れずに歩けることがよくわかった。その時、蝶ケ岳からの槍,穂高の素晴らしい眺望に感動した。「あんな稜線を歩いてみたいなあ」と思ったのが、山に魅了される最初の体験であった。 小さい時から山羊や羊を飼い、夏は草刈に、冬は焚き木拾いに山に行き15キロばかり背負って山道を下りるという田舎育ちであった。少々の風邪等何のその、登校して小、中、高校と共に皆勤であった。子供の頃の体験または生活環境が山歩きの基礎になっているのではないかと思う。
県庁山岳会に入会して、いろんな山に登るうちに、雪山への憧れが膨らんでいったが、雪山に初心者は連れていくことはできないと断られて以来、表銀座をはじめ、かなりの山歩きを一人で体験し、そのうち先輩の手ほどきを受けて、雪の槍,穂高の稜線を歩き、徐々に雪山も歩けるようになっていった。このように、山歩きの基本は、県庁山岳会で学ぶことが出来た。先述のように田舎育ちであるから、背負うことや歩くことは得意だったので、都会育ちの人より比較的早く山に馴染むことが出来たのではないかと思っている。
初めての海外登山は、 1977年、マッキンリー南壁(6194m)山行であった。10歳ばかり若い男性3人に誘われ38歳の時に参加した。岩登りは未経験なので断ったのだが、「一年先だから訓練すれば大丈夫」と言われ、自宅近くの丹沢や横須賀のトレーニング場でいろいろ基本を学んだ。後でわかったのだが、マッキンリー南壁のアメリカンダイレクトルートを忠実に登った初登攀であった。この山行体験が自分にとっては技術の基礎になった。
 1991年、50歳以上が所属する「シルバータートル会」の遠藤京子さんからチョー・オユー(8201m)に「難しくないルートだから」と誘われた。8000mってどんなところか興味津々で参加した。これが最初の8000m高峰登山であった。
 1994年、ダウラギリT峰(8167m)に登頂。女性隊員も何人かいたが、女性で登頂したのは自分一人であった。尊敬する山のベテラン、小西政継さんが一緒であったが、話ができるだけでもわくわくするのに、一緒に登れるという夢のような思いで参加した。「渡辺さん、自分たちは、もう無酸素の年齢ではなくなったから、8000m超えたら酸素を吸いましょう。なるべく大きな山から登っていきましょう。今度はどこに行こうかな。」などと、そのとき話し合った小西さんは、残念なことに、ダウラギリT峰登頂の翌年、マナスルで遭難死された。小西さんと一緒に登るはずだった山々は全て実現することはなかった。
 1998年、「シルバータートル」隊員として、ガッシャーブルムU峰(8035m)に登頂。遠藤京子、田部井淳子さんら女性登山家の話を聞きながらB.Cに入った。隊としては成功したのだが、田部井さん達、2次隊は天候が崩れて登頂は断念した。 1999年の、女性8人、ガイド3人によるポベーダ(7439m)登山は、7000mの稜線を4キロ歩かねばならず、なかなか難しい山であった。登頂したのは自分を含めて3人だけで、後の人は断念した。
 2002年、63歳でエベレスト(8848m)に登頂した時は、ガッシャーブルムU峰に同行したNHKカメラマンの村口徳行氏の誘いがあり迷ったけれど「行って試してみるのもいいかな」と出かけた。8848mとなると、8000mそこそこの山とは違って、頂上からの景観が素晴らしかった。地球が少しだけ丸く見えるように感じた。その時、エベレスト女性最高齢登頂記録となった。
 2004年、エベレストのすぐ隣にあるローツェ(8516m)に登頂。8000m近くで500m位の直登があり少し難しい山であるが、強風で落石がひどく自分は肩、腕に落石を受けたが、村口氏は肘に大きな落石を受けた。村口氏が待ってくださったお蔭で、疲労困憊であったが粘りに粘って登頂することができた。リードしてくれたりカバーしてくれたり、一緒に登ってくださった仲間に恵まれたことを感謝している。
 2012年、73歳、チベット側からエベレストに登頂。「チベット側から登ってみたい」との強い思いでガッシャーブルムU峰に一緒に登頂した村口氏(エベレスト7回目の登頂者となり日本人最多登頂記録を更新)を誘った。中国(チベット)側からのルートは、B.Cまで車で入ることが出来、6300mまでヤクが荷上げをしてくれる。氷河やクレバスもほとんど無く、ネパール側のクレバスのスリルや恐さを感じないで登ることが出来た。7300mにキャンプ。ここからは雪のルートである。8300mにA.Cキャンプ。ここからは、ごつごつの岩のルートになる。ネパール側と異なった環境で登頂できたことは大変いい体験となった。高峰登山を体験してきたが、エベレストでは遭難者の遺体にも出会い、高峰になるほど生命の危険と向き合っていることを痛感した。山というものは、一緒に登れるよき仲間と出会ってから幸運に恵まれるものだと思う。
以上のような海外高峰体験のお話の後、渡辺さんの解説を交えながら、2012年エベレスト登頂時の映像が10分間ほど放映された。登頂の瞬間の場面では会場から大きな拍手が湧いた。「高山病にかかる度合いもトレッキングで試してみて、皆さんも私と同年配ならまだまだ高い山に登れると思います。」と励ましの言葉を戴いた。
参加者は88人(一般52人、会員36人)であった。      (文/西谷可江・写真/小山義雄) 。