国立極地研究所見学会 ・・・・・・ 集会委員会


極地研

日程: 2013年7月20日(土)
行先: 立川市緑町/国立極地研究所
参加者:35名(講師:渡辺興亜氏含む)
  支部会員25名
  石原康生、大船武彦、岡義雄、岡田陽子、小口治、小野勝昭、北口マリ子、小松原勝久、小柳清治、
  小山義雄、河野悠二、酒井省二、佐久間マサエ、高橋重之、高橋郁子、竹内康雄、竹次優子、
  竹中 彰、野崎裕美、本間正士、松澤節夫、宮本信一、三渡忠臣、八木五郎、山本憲一

 多摩地区は連日の炎暑(熱帯夜?)続きの午後、国立極研究所(立川市緑町)を訪ね、涼しげな極地探検と研究の話を聴き、南極・北極科学館を見学しようとの企画。
渡辺興亜会員(極地研究所所名誉教授、南極OB会代表)の「南極の自然誌と探検史」と題する講演のあと、付属の南極・北極科学館の見学をした。
渡辺会員は、地質学(ヒマラヤの造山活動など)研究が専門だが、極圏の雪氷研究に従事して40年余、我が国初期からの極地研究に深く関わってこられた。
南極大陸が大気、気温、磁気など多くの地球環境に与える影響など、難解な話と18世紀初頭に南極大陸発見と狩猟時代に始まり初期探検時代の歴史へと話が進められた。渡辺講師は写真と図版をふんだんに映写して話されたが、フツーの山屋には理解を超えるテーマが多かった。
しかし、欧米諸国に並んで、敗戦の復興途上の日本が南極観測の仲間入りできたのは明治時代の白瀬矗(のぶ)隊の南極上陸の実績が評価されたからだと、また、各国は軍隊が観測隊の基地設営を担当するが、軍隊のない我が国は、当時学術会議の茅誠司氏らの発案で、設営担当が日本山岳会に白羽の矢が向けられて、初期は山屋が重要任務を担って、西掘・村山・鳥居・永田氏らが活躍することになった所以、など創業期の珍しいウラ話も聴くことができた。門外漢にも興味尽きない渡辺会員の講義は1時間余におよんだ。
 次いで、隣接する南極・北極科学館を見学した。
南極や北極のオーロラ体験=全天ドームに映し出すオーロラシアターや昭和基地のリアルタイム映像を観た。 南極で採取した隕石(月の石や火星の石を含む)や岩石類とペンギンなどの剥製がたくさん展示されている。隕石や岩石の薄片を顕微鏡を通して観ると極彩色のオブジェだった。村山雅美隊長ら日本人初の極点往復5000km旅行(1978年)を成し遂げた、今や超クラシックカーなみの雪上車に乗ることができたし、昭和基地の個室、ドームふじ深層掘削用ドリル、観測用無人航空機など多岐にわたる展示は興味尽きない。また、2000年を超えた南極の氷に触れることもできた。
この科学館は、極地研究に理解を深めてもらおうと、土・日曜日も開館していて、解説員も常駐。入場は無料、売店には、絵ハガキ、南極関係の書籍や資料が販売されています。昭和公園を散歩(ジョギング)がてら、見学をお薦めします。
 5時30分に、立川北口の「どぜう・あま利」に場所を移しての納涼懇親会は、大いに賑やかだった。
(文/松澤節夫 写真/竹次優子)