講演/映画会「羽田栄治のニュース映画にみる昭和の世相と山登り」


講演会

―― 山の現場に羽田あり ――
 日本山岳会東京多摩支部主催の講演/映画会「「羽田栄治のニュース映画にみる昭和の世相と山登り」が中日映画社の協力をえて11月10日(土)、立川市女性総合センター・アイムホールで開かれた。ニュースカメラマンとして活躍した羽田栄治日本山岳会会員に半世紀前の「ニュース映画」で当時の世相や山の遭難報道などをお話していただいた。
講演/映画会は朝日、読売、毎日新聞が一斉に伝えたことなどから162人(会員53人、一般109人)が参加し大盛会だった。開催2日前には、羽田さんがインタビューを受けた記事が朝日新聞多摩版に掲載され大きな反響があった。
羽田栄治講師は、1927年東京の生まれで85歳。日本山岳会資料映像委員会の前委員長。大学山岳部で培った登山技術を生かし中部日本ニュース映画社に入社。特に登山隊同行記録映像撮影や遭難取材で活躍し「山の現場に羽田あり」と言われた。
 冒頭、羽田さんはフィルムからテープ、ディスク、デジタルへと変化した50年の映像技術の変わりようを話し、マラソンで勉強しても追いつけず、今回お見せするニュース映画はアーカイブスだが、自分もアーカイブス人間だ、とユーモアを交えて話し始めた。 「ところで、ニュース映画を観たことのない人、いますか」と客席に向かって質問。おおよそが中高年層の客席から笑いがあがり、若い時代に観たニュース映画の開始を興味深く待っているようであった。
昭和30〜40年代、映画が娯楽の王座であり、映画館では必ず本篇の前には「ニュース映画」が上映され、政治、経済、社会、スポーツなどの時事ニュースが大型スクリーンで得られる楽しみがあった。昭和50年頃まではニュース映画専門の映画館もあり、当時は20円で観られたとか。今日のニュース映画もみなさんに大きなスクリーンで観ていただけてうれしい。余談になるが2年前、映画「剱岳 点の記」が封切られた時、山好きの皇太子殿下が「羽田さん、DVDはありませんか」とおっしゃったので「殿下、このような山の映画はぜひ大型スクリーンでご覧になってください」と申し上げ後日、有楽町の「マリオン」の大型スクリーンでご覧になっていただいたとか。

―― アイモを担いで走った  ――
 かつて使ったアイモというカメラは、重さ4キロ、しかも距離は目測、絞りは目安、シャッタースピードは1/60に固定され、実にシンプル。フィルムの感度だけが頼りの映画用35oカメラである。装填するフィルムは一巻100フィート(30.5メートル)だけ。事件によって数本用意する。そのフィルムを秋葉原で買った米軍放出品のジャンパーに入れて現場に向かう。どのような現場でもやり直しがきかない「ぶっつけ本番」。ワンカット、ワンカット、気合いを入れながらシャッターを切る。装填したフィルムは1分しかもたない。撮り終えれば、すぐにフィルム交換する。1分以内でフォルムチェンジし、フィルムの残尺を計算しながら、緊張の連続の現場であった。フィルムは現像しないと見られない。ビデオテープやSDカードの時代、NGがあれば簡単に撮り直しができる昨今、驚くほどの技術進歩を痛感するとか。
 昭和時代の世相、山と遭難、海外登山初期のことなどを語ってもらったが、羽田さんが最も印象に残っている事件は、ネパールから帰国して間もない1960年の秋、谷川岳一ノ倉沢、衝立岩での宙吊り遭難事故だった。撮影中はヘルメットなしだったので銃弾がはね返ってきて恐かったとか。その頃の谷川岳にはハト小屋があり報道陣はハトを背負って一ノ倉のテールリッジに向かい、なにかあるとそのハトを飛ばした。今は瞬時にニュースが伝わる。ヒマラヤ遠征の報道などネパールから1週間もかけて送ったと話す。63年1月の北アルプス薬師岳での愛知大学13人の遭難は下山途中でルートを誤り全員が遭難死した。その時のエピソードとして、いわゆる「やらせ」をしてもらい、雪を掘るとアイゼンが出て、すぐに遺体も出てきた。好きな山登りと非情な取材との板鋏みにあい泣いたそうだ。昔はいわゆる「一発勝負」で、今のように簡単に押せば撮れる、ダメならまた消して撮ればいいやということが許されなかった。デジカメの時代になり、こんなすばらしい時代はない。失敗談もいろいろある。プロはできてあたりまえ、成功してあたりまえで、失敗するとそれが一生つきまとうものなのだとか。今でもご自分の関わった作品を見ると感動をおぼえ、自分の行った現場はよく覚えていると話された。テレビでお茶の間にダイレクトに情報が入る番組などを観ると、かつての時代と今の時代に、隔世の感を禁じえないと結んだ。
最初に流されたニュース映画は、昭和33年頃の第2次RCCの若きアルピニスト 奥山章らの北岳バットレス冬季登攀で、55年前の登山ウェアや、ロープなどの装備が興味深かった。その後、懐かしいニュース映画が続き参加された方々は、おおいに満足されたようだった。
(文責/岡田陽子)

■上映された「中日ニュース映画」リスト■
・No.208(33.1.10)
 @相互釈放の喜び/日韓覚書調印A新春ことはじめ一束京・神戸−B相次ぐ冬山の遭難
・No.326(35.4.15)
 @苦悩する炭労A浩宮さま,お宮まいりBカメラルポ/香港一羽田特派員撮影
・No.329(35.5.6)
 @崩れ去った独裁政治A南国だより/マニラ・カルカッタ―羽田特派員撮影B飛び石連休
・No.330(35.5.13)
 @ボート五輪代表決まるA放火で火薬庫爆発B山の都“カトマンズ”Cこども歌舞伎
・No.331(35.5.20)
 @体育の祭典A土俵を去った栃錦Bヒマラヤに生きる―羽田特派員C高まる安保論争
・No.332(35.5.27)
 @米倉またも王座を逸すA追いつめられた岸内閣B恐怖の誘拐殺人C巨大津波が襲う
・No.334(35.6.10)
 @伝統の古典バレーAジュガール・ヒマールを行く−羽田特派員撮影B退陣迫る“声なき声”
・No.350(35.9.28)
 @アメリカの皇太子ご夫妻A銃撃で遺体収容―谷川遭難Bあれから一年―伊勢湾台風
・No.471(38.1.25)
 @雪の薬師に帰らず―愛犬生13名遭難A海を行くペテロ―大阪B港湾パトロール―名古屋
・No.480(38.3.29)
 @お墓考現学一広島,大阪,東京A特報/愛大生遺体薬師沢で発見―捜索隊同行記
・No.481(38.4.5)
 @密集地帯焼ける―東京Aアイモ風土記/八幡平村B愛大生よ安らかに−薬師岳第2報
・No.783(44.1.17)
 @収拾への苦悩―東京大学A剱岳で“大量遭難”―富山