年始晩餐会記念講演会「極北・未知への挑戦」(小嶋一男会員)


講演会

   ――2万2000kmを犬そりで駆ける――
晩餐会に先立つ記念講演として、小嶋一男会員にシベリアからグリーンランドまで約2万2,000kmの冒険に挑んだ話をうかがった。講演は、広く一般のかたにも開放した。支部会員69人に加え29人の参加があり、98人が厳寒の世界に驚いたり、そこで生きる人たちの知恵に感激したり、「極北・未知への挑戦」に聴き入った。
1943年生まれ。日大山岳部OBである。65年3月、印パ紛争のあおりを受けヒマラヤ登山が禁止された。目標を失った日大山岳部はグリーンランドに新たな目標を見出した。68年、日大隊は日本人として初めてグリーンランド氷床の横断に成功。小嶋隊員は犬ぞりの第一人者になっていた。
85年、「アイディタロッド国際犬ぞりレース」に参加した。完走することができ27位だった。アラスカのアンカレジからノームまで約1900キロを走る世界最長の犬ぞりレースだ。。10日以上も走り続ける。1973年に始まり、毎年3月に行われる。その後も参加し、計7回にわたって完走した。
 アラスカは、1867年に米国がロシアから買った。ロシアは1853〜56年のクリミア戦争で経済的に疲弊していた。購入価格は700万ドル。あとになって敷設鉄道の代金20万ドルが追加された。スワード国務長官は「巨大な保冷庫を購入した」と非難されたが、1896年に金鉱が発見された。石油も出る。いま米国50州のなかでいちばん豊かな州だろう。
いろんなインディアンに会った。目が輝いていた。モンゴロイドに興味をいだいた。モンゴロイドの移動した足跡を犬ぞりでたどろうと思い始めた。「極北ロマン紀行探検隊」を組織し1997年3月にバイカル湖/イルクーツクをスタート、チェルスキーまで7,400kmを走破した。翌98年はベーリング海峡を通過し北米最北端のポイント・バローまで6,500kmを走破した。
単独行動は許されない。極北ロマン紀行探検隊には5人のサポート、またロシア国家非常事態省の役人がついた。気温がマイナス45℃ともなると、温度の上がるのを待つ。氷が融けず砂のうえを走るようになる。マイナス10〜35℃がいちばんいい。そりで走り終えると、まずイヌの“食事”をつくる。人間の“餌”はそのあとだ。
――オーロラをみると人生観が変わる――
人間は北緯30°くらいまではウシやブタを飼う。緯度が高くなるとウマに代わる。さらに高くなるとトナカイ、イヌとなる。イヌはトロット(早足)で走る。決してギャロップ(早駆け)では走らない。上下運動がなくエネルギーを多く使わない。北極熊もトロットで走っている。部落の間は500kmぐらい。人口70〜80人程度で、テリトリーをしっかり守っている。部落に着くたびに40歳以上の男女から尿をもらった。日本に送り、東大が細胞を分析し民族の起源を調べた。
99年にカナダ北方のケンブリッジベイまで、01年にカナダ最北端まで―などと走破し、04年6月30日にグリーンランドのアンマサリックにゴールした。イルクーツクから2万2,000km。8年にわたる遠征だった。
ことしはオーロラの当たり年だという。太陽からは常に “電気を帯びた粒子の風”が地球に向かって吹いている。これが地球の磁気圏にぶつかり、磁力の強い北極や南極に運ばれて光る。太陽の黒点が多ければ多いほど、活動が盛んになり、また太陽の黒点はおおよそ11年周期で増えたり減ったりする。68年以降、これまでに4回、大規模なオーロラに出合ったという。「オーロラをみると人生が変わる」と、その美しさを語った。小嶋さんのさらなる活躍を期待したい。
(文責:橋重之)