安全登山講演会 「コンビニ登山の危うさ(トムラウシ山大量遭難から学ぶ)」報告


講演会

 実施日   2018年7月13日 18時30分〜20時20分
 会場    八王子市生涯学習センター(クリエイトホール)第2学習室
 講師    節田重節氏 (日本山岳会元副会長、トムラウシ山遭難事故調査特別委員会座長)
 参加者   60名
         石塚嘉一、石橋學、植草由利、岡義雄、小河今朝美、小口治、鬼村邦治、
         小野正男、小野勝昭、神崎忠男、北島英明、城所邦夫、木村康雄、河野悠二、
         小清水敏昌、小山義雄、小山幸勇、小嶋一男、近藤裕、近藤節郎、酒井俊太、
         酒井晴永、佐藤守、茂呂よしみ、高橋郁子、高橋重之、土井友子、竹中彰、冨澤克禮、
         富永真由美、内藤誠之郎、中村哲也、中原三佐代、西村智磨子、西谷隆亘、
         野口いづみ、原満紀、平井康司、比留間祐也、前田明代、松澤節夫、松川信子、
         松本恒廣、三渡忠臣、宮崎紘一、村岡庸こ、山本憲一、吉田敬、吉川三鈴、石井秀典、
         会員外10名
 記録    吉川三鈴

1.トムラウシ山大量遭難事件の概要
 2009年7月16日 旅行会社(株)アミューズトラベル主催のトムラウシ登山ツアー中、参加者15名の内7名が、及びガイド4名の内1名が低体温症により遭難死した。(他に一般登山者1名が遭難)。ツアーは、4泊5日(山中2泊)の行程で旭岳温泉から旭岳、山中の避難小屋に宿泊(2泊)しトムラウシ山へ縦走、トムラウシ温泉へ下山予定。ツアー参加者は55歳から69歳の男性5名、女性10名とガイド4名。(内ガイド1名はヒサゴ沼避難小屋まで)。3名のガイドは、リーダーA(61歳、中国地方で低山ガイド)、ガイドB(32歳、今回コースは5回経験)、ガイドC(38歳、中部地方の山をガイド)で、今回が初対面であった。
  事故前日7月15日は、白雲岳避難小屋を出発し雨の中10時間の行程でヒサゴ沼避難小屋に宿泊。そして事故当日16日も雨が降り続く。天候状況を見て30分遅らせ5:30に小屋を出発。雪渓を登り主稜線に出て日本庭園に指しかかる頃には強い暴風雨となり歩行が進まず。その先のロックガーデンまでに通常コースタイムの2倍近い時間を要す。北沼渡渉地点は膝までの増水でガイドの補助で渡る。渡渉後、女性1名が行動不能に陥り、リーダーAが付き添いビバークした。(この2名は翌日死亡で発見)。それから5分程の地点で女性3名が低体温状態に陥り、ガイドBと男性1名が介護のビバークする。(その内女性2名が死亡)。11:30を過ぎて風が弱まり雨も止んできた。ガイドCが歩行可能な参加者10名を連れて山頂を巻いて下山開始する。南沼キャンプ場手前で男性1名が、トムラウシ公園手前で女性2名が歩行不能となる。(この3名は翌日死亡で発見)。その後、衰弱した女性1名の介護のために別女性1名がビバークを決意。(衰弱の女性1名が死亡)。パーティーはバラバラ状態になりそれぞれが個別行動となる。 15:00ガイドCと女性1名は前トム平にたどり着く。その時女性の主人からの電話が入り、遭難事故の発生を初めて通報ができた。ガイドCも携帯電話を発信するが低体温症で言語不明瞭。(ガイドCは翌日ハイマツの中で発見、ヘリ救出される)。トムラウシ温泉に自力下山した参加者は、5名(男性3名、女性2名)で、深夜から翌早朝の到着であった。
 事故当日に悪天候で動けなかった北海道警察航空隊と自衛隊のヘリは、17日早朝から始動した。山中の生存者5名(参加者3名、ガイド2名)を含めた全員を収容して、事故翌日に捜索活動は終了した。
2.事故調査特別委員会の発足
 事故の社会的重大性などから(社)日本山岳ガイド協会に事故調査、検証の依頼があり、第三者で構成する特別委員会が設置された。委員会は、元山と渓谷社取締役編集本部長の節田重節氏をはじめ、元新聞記者、ガイド事情に詳しい大学教授、山岳医療に精通した医師、気象専門家、運動生理学の教授の計6名で構成された。2009年8月下旬現地調査が行われ、事故に関わった警察、自衛隊、病院、並びに生還したガイドと参加者、他のツアー会社への聞き取り調査が行われた。2009年12月中間報告、2010年2月最終報告が行われた。
3.事故要因の考察
 事故要因の1番ポイントは、どの様な判断でヒサゴ沼避難小屋を出発したかである。リーダーガイドは前々日の夜に白雲避難小屋で見た天気予報を頼りに30分出発を遅らせた。通常でもトムラウシ温泉までは10時間のコースであり、このツアー参加者ならば12時間以上はかかることが容易に予想される。ナイター歩行となるならば半日遅らせる判断もできただろう。もちろん小屋に停滞という判断もあっただろうが、3人のガイドが参加者の状態(前日の雨で湿ったままの装備など)や悪天によるコースのコンディション等を討議・検討した形跡はなく、とりあえず出発するという形になったと思われる。
 第2のポイントは、ヒサゴ沼分岐(主稜線)に出た後から日本庭園にかけての状況判断ミスである。稜線にでるとクワンナイ川から吹き上げる強風を受けて木道の縁を掴みながら歩く状態であった。ロックガーデンの厳しい登りに入る前の段階で、ガイド同士で引き返すか天人峡温泉へのエスケープルート(ハードコースだが風は弱くなる)をとるか協議するべきであった。
 第3のポイントは、ロックガーデンの登りで足元がふらつき低体温症の前兆状態を示す参加者が出たうえ、通常コースタイムの約2倍の時間を要しているのに登山を継続し、すでに遭難状態であることの認識がなかったことである。更に、通常は石伝いに渡渉できる北沼でも膝まで水につかる渡渉で難儀し、ここでの長い停滞が一気に低体温症が加速したものとみられる。この状況においてもガイド同士での協議がなく、体温低下防止措置などの的確な指示はなかった。この時ガイドAは既に低体温症が疑われ、その後に参加者を引率したガイドCも南沼で余裕がなくなり、パーティーがバラバラの行動になってしまった。
4.コンビニ登山の危うさ
 1990年のツアー登山ブームの始まりから現在に至るまで、ガイドブックや地図を読み込む必要もなく、山行計画を立てることもなく、山仲間がいなくても一人で気軽に参加できる「コンビニ登山」(節田氏による命名)が隆盛を極めている。現在も約190社が登山ツアーを企画運営している。ツアー登山は、常連客が多く、延べ40〜50万人が参加しており、同時にツアー登山ガイドという職業も成り立つようになった。ツアー会社は経済性を優先してか行程に予備日を設けないことが常であり、その安全性には疑問符が付く。ガイドも雇われて側として意見しづらく、経済性と安全性との狭間で難しい山行を強いられている実情があるらしい。 この事故は、リーダーガイドの判断ミスによる気象遭難と言えるが、ツアー登山の実情が背景にあることも度外視できない。また、3名のガイドの経験やスキル不足もあって危急時の的確な判断や対応ができなかった点も指摘される。天候、地形、参加者の体調や力量を把握し、危険を予知し、時間や行程を的確に管理することがガイドの責務だが、ガイド3名の間での協議は殆どなかった。加えて3名は旭川空港で初めて会ったという寄せ集めのガイドであった。旅行会社は、社内研修で転滑落に対応する研修はしていたと言うが、ガイドの人選はもっと危機対応能力を重視するべきではないか。
ツアー登山といえどもフィールドは一般の登山と同じであり、参加者側も最終的には自己責任が基本であり、自分の体力や技術レベルを客観的に把握したうえでの参加が求められる。そしてまた自分自身でも現在地確認、時間管理、体調の管理を行って自立した登山者としてツアーに臨むことが必要である。
5.事故後の裁判結果
 北海道警は、(株)アミューズ社社長とガイドの3名を業務上過失致死の疑いで書類送検したが、ガイドAは死亡、ガイドBはPTSDで取り調べ不能となり、結果的に嫌疑不十分で不起訴である。民事裁判も遭難者が高齢だったこともあり示談となった。(株)アミューズ社は、2012年にも万里の長城で三人死亡の遭難事故(同社は現地ガイドに丸投げ)を起こし、旅行業者の登録を抹消され廃業となった。