「山のファーストエイド&大多摩ウォーキング」報告

−東京多摩支部安全委員会−


安全委員会では、「山のファーストエイド講習会」を奥多摩BCで開催しました。奥多摩BCは足の踏み場もないほどの人が集まりました。午後からは奥多摩の渓谷歩きをのんびり楽しみました。

  山のファーストエイド


   日時   2015年9月21日(月・祭日)
   会場   奥多摩BC
   参加者  25名
          仲谷朋尚、岡 義雄、木谷嘉子、竹中 彰、坂本正智、富澤克禮、高橋重之、高橋郁子、
          酒井俊太、柄澤洋城、濱野弘基、中村正之、酒井省二、北原周子、河野悠二、
          小松原勝久、小野勝昭、西谷可江、西谷隆亘、平井康司、八木佳苗、中村美奈子、
          石井秀典、西村智磨子、小山義雄
   講師   奥多摩消防署 齊藤和範氏

 秋の彼岸、「シルバーウィーク」のど真ん中。さらに、事故発生の場合は出場(出動)しなければならないという講師の条件もあり、会場は奥多摩BC。日程、交通手段ともに気がかりではあったが、多くの方に参加していただいて開催できた。
 20名以上の参加があった場合、奥多摩BCのパイプ椅子(10脚あまり)では足りなくなると想定し、あらかじめ奥多摩消防署からパイプ椅子の借用をお願いしておいた。当日の開場前に奥多摩BCの坂本委員長に車を出していただき椅子を運んだが、これは正解だった。

 講師の齊藤さんは、奥多摩消防署の防災救急課救急担当係長。豊島区、奥多摩、福生市、立川市、杉並区、台東区などの消防署を経て、昨年の10月に再び奥多摩消防署に赴任した。
 冒頭で御嶽山噴火の遭難救助活動に参加した様子が語られた。奥多摩消防署は噴火当日に救助隊を派遣した。山岳での活動は他の派遣隊と異なって動きがよいため、現地ではリーダー的役割を果たしたという。火山灰は、乾燥していれば風に舞うし、雨が降れば泥沼と化して動きが取れなくなる。活動の大きな障害だったそうだ。  東京消防庁の山岳救助隊は、八王子消防署、青梅消防署、秋川消防署、奥多摩消防署の4カ所に置かれているが、八王子と青梅には特別救助隊(人命救助を主任務とするエキスパート。レスキュー部隊)が存在する。救助隊のAEDは一般のものとは異なって、一回り大きいそうだ。
 平成26年度の奥多摩の事故は159件。道迷い、転滑落などに混じって目立つのがスズメバチによるものと熱中症によるもの。スズメバチに刺されると体温が異常に上昇するという。また、熱中症では1人が死亡した。それぞれの対応状況を細かく語ってくれた。クマの出没も多く、奥多摩駅にも近い登計地域での目撃情報が多いという。 救助隊から見た山岳事故の特徴は@事故が分かるまで時間がかかるA発生場所の特定が困難B長時間にわたる活動時間C激しい体力消耗Dヘリでの救助が効果的E気象に左右される、など。救助隊としては、骨折は軽症の部類だということに驚いた。

25名の参加者で埋まった

救助の様子を語る齊藤講師


 救助隊員は、月に1回ほど山に入ってどこが駐車に適するか、どこに何があるかなどを調査して活動に備えている。活動時に救助隊が心がけていることは@自分が怪我をしないA落石を起こさないBペース配分に配慮するC単独行動を避けるD怪我人の容態を悪化させない。ふだんは@機材の点検・整備を怠らないA気象の変化に気を付けるB体力向上に努める(毎日30分はランニング、腕立て伏せなどをしているという)など。興味深い話もあったが、ここでは書けないので省略する。
 都内には80の消防署があり、4月と10月に人事異動があるが、山岳救助に携わる消防署には新人は来ないという。すぐに活動に従事できるスペシャリストが求められるからだ。異動があったとしても、ほとんどが自ら希望した者だという。また、消防署への就職を希望する大卒者が増えているという。それだけ「人気」のある職種だが、基本的には体力がないとねえと齊藤さん。そういう本人も、隊員の「マッチョ具合」には驚くばかりだとか。
 奥多摩には救急車が1台しかない。救助も遅れることがある。例として奥多摩周遊道路で事故が起きた場合には、相当に時間がかかることを覚悟しなければならないという。休日朝の出勤時、奥多摩駅まで車内の登山客の混雑具合を見ると気になって仕方ないそうだ。


支部長のあいさつ

骨折の手当を真剣に見入る


 休憩を挟んで、骨折・捻挫の応急処置に移った。救助隊は、梯状副子(ていじょうふくし)という固定具を備えている。梯子状の針金をウレタンのようなもので覆い、患部の形状に応じてフレキシブルに折り曲げられるようになっている。腕の骨折を想定した実演を見せてくれた。
 まず、時計や指輪をはずす。梯状副子を腕に合わせてセットし、細長く折った三角巾を副子ごと巻き付けて手の部分を固定する。次に上腕を同様に固定。首から回した三角巾で腕を吊る。腕が振れて動くようだったら、吊った三角巾の上から別の三角巾で胸回りを固定すればいい。このとき、手の指が見えるようにしておくのがポイント。爪の様子で血流の様子が分かるからだ。
 梯状副子の代わりには、ガムテープを巻いた新聞紙などが使える。三角巾の代用としては、タオル、バンダナがある。足首の捻挫も三角巾で対応できる。靴を履いたままで三角巾をテーピングの要領で回し、固定する。骨折や捻挫は患部を動かさないことが鉄則だから、足首まである靴なら脱がないほうが固定に適している。
 濡らした三角巾は火傷の対応にも役立つ。個人の救急用品に備えておけば、グループで相当数の三角巾が集まるはずだ。齊藤さんは、三角巾は有用だと言う。
 止血は直接圧迫止血が効果的。止血を抑えるには、ガーゼやハンカチ、バンダナなどを使うが、安易にはがして患部の様子を見ないこと。出血が止まりつつある患部を悪化させてしまうからだ(止血時はビニール袋、ビニール手袋などを使用して血液感染を防ぐこと)。救急車を呼んだ場合は、どのあたりをどのくらい切ったかを伝えたい。
 講習は、消防署の救助隊の活動が主なテーマとなった。ファーストエイドの要素が少なかったが、普段聞くことのできない「内輪」の話も多く、2時間が短く感じた。24時間で12回の出動経験や、出産の介助などは興味深かった。参加者に、消防署の救助隊の様子が少しでも伝われば幸いだ。


次に上腕を固定

梯状副子を当てたら手から固定



三角巾を体に巻いてさらに固定

三角巾で吊る



  大多摩ウォーキング


   参加者  19名
          仲谷朋尚、岡 義雄、木谷嘉子、竹中 彰、富澤克禮、高橋重之、高橋郁子、酒井省二
          北原周子、河野悠二、小松原勝久、小野勝昭、西谷可江、西谷隆亘、平井康司、
          八木佳苗、中村美奈子、石井秀典、小山義雄
   コース   奥多摩BC(1:05)→(2:10)白丸トイレ(2:20)→(2:28)数馬の切り通し(2:40)→白丸駅(2:50)
           →(3:10)白丸魚道(3:30)→(3:35)休(3:50)→鳩ノ巣駅(4:25)

 奥多摩消防署講習会に引き続き、鳩ノ巣駅までの大多摩ウォーキングを行った。昼食後の午後1時、奥多摩BCを出発しビジターセンターで一旦集合。マップなどをもらって身支度などを整えた。青梅街道からもえぎの湯に向かい、少し手前で吊り橋のもえぎ橋を渡る。20名近くが一度に渡るものだから、おおいに揺れた。橋を渡ってからもしばらく足もとが揺らいでいた。橋の上からは屏風岩あたりがよく見えた。
 多摩川南岸道路をてくてく歩いて、さりげなく人家の間をすり抜ける。先を歩いていたグループがあわてて戻ってくる。ちょっと登って着いたところがカタクリの群生地で知られる海沢のカタクリ山の登山口。道標がある。引率の石井委員らしいリードだ。
 東京電力氷川発電所に発電用の水を供給する太いパイプを横目に見て発電所脇を抜ける。この発電所は、東京電力としては島嶼部を除いては都内で唯一の水力発電所で、運転開始は昭和6年7月8日。最大出力8200KW、有効落差107.7m。
 発電所から下って海沢川を渡り、登り返せば数馬峡の遊歩道。出ていた晴れ間が隠れ、曇ってきた。山歩きではないので参加者は気楽そのもの。それぞれにくっちゃべりながら、ワイワイと歩く。列が細長くなりがちだ。それにしても、白丸方面から来る歩行者が多いことに驚く。この遊歩道は意外とアップダウンが多い。そのうえ、狭い部分が続くので、すれ違いのために渋滞気味となる。多摩川ではカヌーを楽しむ人が見える。数馬峡橋から先は東日本大震災の影響で通行できない。渓谷観賞の楽しみがまだお預けなのだ。


氷川発電所近くの一行

意外と揺れたもえぎ橋


 数馬峡橋を渡り、川合玉堂の歌碑などを愛でながら青梅街道に出る。ここには横断歩道がないので、いつも気を遣うところだ。休憩を挟んで、石井リーダーが向かうのは数馬の切り通し。「元禄16(1703)年に、氷川・栃久保両村の資力、労力で完成。これにより小河内方面、多摩川南岸と五日市方面、日原・大丹波と秩父方面の交通が密接になった。昭和52年11月3日、奥多摩町指定史跡となった」と、大多摩ウォーキングトレイルのマップに書いてある。
 切り通しへは、こんなところを登るのかい、というようなところを登る。今回唯一の「難所」だが、ここは裏道。一般的には「正しい道」から切り通しには行ける。その正しい道に合流してわずかに歩けば、切り通しが見えてくる。巨岩が、まさに切り開かれている。岩を削った痕跡は、300年以上前の大事業を偲ばせるようだ。すぐそばの高みには神社が祀られていた。
 正規の道から青梅街道には降りず、白丸の集落内を歩く。まるで槍ヶ岳のような天地山の眺めに喜んで、川合玉堂も愛したという白丸散策コースをゆっくり歩く。玉堂が寄宿していたという大澤哲治邸の前を過ぎ、白丸駅の踏切を渡った。


奥多摩槍ヶ岳の天地山に喜ぶ

数馬の切り通し

 青梅街道に出て、しばらくは車に注意しながら白丸魚道を目指す。花折トンネルの手前で右への道に導かれればその入口が見えてくる。映画のセットのような螺旋階段を下ると魚道が現れる。思っていたよりもずっとスケールが大きい。こんな地下にこんな施設があるとは想像外だ。しかも、ひとつひとつの「桝」が深い。こんなところを魚が通り抜けるのだろうか。いったん外へ出ると白丸ダムは近い。ゴウゴウと排出される水の向こうに、写真で見慣れた魚道が見えた。それが折り返してダムの中に入っている。さっき見てきた魚道はその延長だった。魚道のスケールの大きさに驚く。
 ここの魚道はアイスハーバー型魚道で、その設計者が安全委員会の西谷委員。多摩川には世界で初めて設置されたハーフコーン型魚道などがあり、これらの設置も西谷委員が指揮したもの。白丸ダムを渡った先の休憩所で、ひととき西谷委員の話を伺った。魚のウロコのある・なしの話。また、魚は胸びれを使って魚道を遡ることが分かってから、魚が通る部分は角を取って丸くしたという話は面白かった。渓谷歩きが楽しめる遊歩道を歩いて急な坂を登り、鳩ノ巣駅に到着。ここで解散とし、有志一同で反省会場に向かった。


スケールの大きな魚道の一部

魚道へ向かう螺旋階段



ダムで西谷委員の説明を聞く




白丸ダムから魚道を見る




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